【お寺の掲示板77】猫をしかる前に魚をおくな鳳林寺(静岡) 投稿者:@holyji [2020年10月3日]

結果に一喜一憂することなく、原因を分析する

 清水港を旧東海道沿いに静岡市街に向かう途中に月光山鳳林寺があります。街道沿いにうっそうと茂る樹木が月の光に映え、月光の松原と呼ばれたのが山号の由来だそうです。今回はこの曹洞宗のお寺の掲示版からお届けします。

 この言葉を残された板橋興宗禅師は2020年7月5日に往生されました。曹洞宗の管長や大本山総持寺の貫首を務められ、福井県越前市にある御誕生寺の住職でもありました。境内で数十匹の猫の世話をしていたことから、いまでは「猫寺」の愛称で親しまれています。

 猫を大変愛した板橋禅師らしい言葉です。仏教ではすべての現象は原因と結果の関係になっているという因果論を説きますが、この言葉はまさにその「因果」を記したものです。この場合、「猫が魚を盗んだ」という結果の前に「猫の手に届くところに魚を置いてしまった」という原因があります。猫に腹を立てるより、原因を作ってしまった自らを省みようと言っているのです。

 仏教の因果論の中で特に有名なものが「善因善果(ぜんいんぜんか)」、「悪因悪果(あくいんあくか)」という言葉です。これは「善い行為や思考は善い結果をもたらし、悪い行為や思考は悪い結果をもたらす」という意味を持っています。このメカニズムは誰でも頭では簡単に理解できるのではないでしょうか?

 しかし、頭で分かってはいても、実際に善い行為や思考だけを実践できる人はおそらくいないでしょう。たいていの人間は、欲望や負の感情に従って悪事をなし、罪の報い(結果)が現れた後に苦悩します。そして、その悪い結果が原因となり、さらに悪い結果がもたらされるという負の連鎖が発生してしまうのです。

 また、たとえ自分が善い思考や行為を人生の中で積み重ねて良い結果を待ち望んだとしても、突然理不尽なこと(悪い結果)に見舞われ、心が折れてしまうことがあります。天災や不慮の事故・事件、病気に遭遇した場合、それらは自分の努力ではどうにもならないのです。

 このようなことをお釈迦さまは「一切皆苦」(人生は思い通りにならない)と表現しました。釈徹宗師はこのことに関して、著書『みんな、忙しすぎませんかね?―しんどい時は仏教で考える。』の中で、次のようにおっしゃっています。

 自分の都合通りに報い(=結果)がコントロールできれば、仏教など必要ありません。なぜ仏教が生まれたのか。それは、生きる上での重大な問題(たとえば老病死など)は“思い通りにならない”からです。むしろ“思い”(自分の都合)のほうを調える。そうすることで、苦悩を引き受けて生きることができるのです。その意味では、自分の都合を調える方向の努力(精進)は必ず報われるわけです。

 世の中のどうにもならない問題の前では、自分の「思い」を調えることが重要と釈師は説かれています。こうした“思いを調える”方法として、「原因を分析・確認する」ことがあります。仏教は「原因に縁(よ)って生起する」という縁起思想が教えの根幹にあり、お釈迦さまは苦しみが発生する原因を大変細かく分析されています。ですから、原因を分析して探っていく姿勢は、仏教的には非常に重要なのです。

 もし、怒りの感情が煮えたぎるようなことが自分の身に起こったときは、必ずその原因を確認してみてください。これはものすごくシンプルなことですが、原因を分析・確認する思考の癖がつくだけで物事の見方が変わり、それによって心の在り方が変わってきます。それは自身の生きやすさにもつながりますので、目の前にある結果に一喜一憂するだけでなく、原因を分析する癖をぜひ身に付けたいものです。

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【お寺の掲示板77】猫をしかる前に魚をおくな

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