社会課題に果敢に向き合う若きリーダーたち。その情熱と使命感は、どのように育まれてきたのか。今回は、子供の貧困や教育格差の解決に向け、「すべての子に学びを」と訴えて学習支援と居場所支援を展開するNPO法人Learning for Allの李炯植(りひょんしぎ)代表理事。多様な経験を積むに至った転機は、小学校時代の恩師の言葉にありました。(聞き手/ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)

「君は東大に行ける」
小学校時代の恩師の言葉

――兵庫県尼崎市の出身ですね。

李 炯植特定非営利活動法人Learning for All代表理事大学で教育哲学を専攻して以降、受験のための勉強でない、真の学びの楽しさを知った Photo by Masato Kato 拡大画像表示

 尼崎は、山のある北側から南側にかけて阪急、JR、阪神と電車が通っていて、北部は最近こそ住みたい街ランキングの上位に入ることもあるようですが、僕が育った地域はJR沿いでかつ川沿いで、市営団地が立ち並ぶ一角です。昔は、生活に困窮する人が多い町で、今でも“しんどい子供たち”が多いと思います。

 両親は日本生まれ日本育ちで、僕は在日韓国人の4世です。アイデンティティーとしては日本人でも韓国人でもなく、どちらにも居場所はないという感じ。日本では選挙権も被選挙権もないし、韓国でも歓迎はされません。

――ご両親はどんな方ですか。

 母は勤勉で、毎朝4時半とかに起きて家事をしたり、自分の勉強をしていました。薬剤師だったんです。父はよく酒を飲む、豪快な昭和の人です。

 三つ下に妹、五つ下に弟がいますが、やりたい事はなんでもやらせるような親でした。両親とも裕福な家庭で育ったわけではないし、職業も制限されていた時代の人なので、子供には自由にさせたいと思ったのでしょう。幼いころは、公園に行く途中の道で何かに興味を持って1、2時間観察しても、食事のときにご飯をぐっちゃぐっちゃに手で混ぜても、飽きるまでやらせていたみたいです。

――小学校は地元の公立ですね。