14勝1分け3敗――ヘッドコーチとしてオーストラリア、日本、イングランドの3ヵ国を率いたエディー・ジョーンズのワールドカップ3大会での戦績だ。残した数字を見ただけでも、彼を名将だと言って異論を唱える者はいないだろう。
エディー・ジョーンズはいかにして奇跡を生んだのか! 2015年ワールドカップで「ブライトンの奇跡」といわれた南アフリカ戦から2019ワールドカップでのイングランド準優勝にいたるまで、エディーは何を考え、行動したのか。初の公式自叙伝となる『エディー・ジョーンズ わが人生とラグビー』の訳者髙橋功一さんにこの本のエッセンスを聞いていく。(構成・編集部)

ワラビーズを率いた時、最初におこしてしまった間違いとは?

2003年準決勝、オールブラックスに勝つためにエディーさんが行った<br />たった1つの戦略Photo: Adobe Stock

――2001年ワラビーズのA代表(ワラビーズに準ずるオーストラリア代表チーム)の指揮を執ることになったエディーさんは、ここでなんとブリティッシュライオンズを破ってしまう画期的な勝利をあげたんですよね

髙橋功一(以下、髙橋) まずブリティッシュライオンズ(正式にはブリティッシュ&アイリッシュ・ライオンズ)について説明しておきます。

 ラグビーでは「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」、つまりイギリス代表チームは存在しません。これに該当するいわゆるイギリス4ヵ国のオールスターチームが、このブリティッシュライオンズです。しかも4年に一度しか編成されない貴重なチームで、その都度、ニュージーランド、オーストラリア、南アフリカの3ヵ国に順繰りに遠征して行くのです。つまりイギリスのプレーヤーにとって、ライオンズに選ばれるのはとても名誉なことですし、まして対戦する南半球の3ヵ国からすれば、ラインズは12年に一度しかやってこない、いわば憧れのチームなのです。

 エディーさんはワラビーズの正代表ではない、いわば準代表を率いてこのライオンズを破ったわけですから、これは大変なことでした。

――そしていよいよ、2001年7月にワラビーズのヘッドコーチに就任しますね

髙橋 ワラビーズは1999年の第2回ワールドカップで優勝していますが、このときのヘッドコーチはロッド・マックイーンでした。彼はその後も代表チームの指揮をとりますが、2001年を迎えるころに勇退します。

 一方エディーさんはブランビーズを率い、初めてスーパー12を制したオーストラリア人コーチとなり、必然的にマックイーンの後継者と目され、2001年7月下旬にワラビーズのヘッドコーチに任命されたわけです。ワラビーズにヘッドコーチが置かれるようになってから5代目のコーチでした。ちなみに初代はエディーさんの師匠筋にあたるボブ・ドゥワイヤーで、現在のヘッドコーチ、デイブ・レニーで10代目です。

――2003年のワールドカップ自国開催まで、あとわずか2年の時でした

髙橋 このときエディーさんが引き継いだのは、1999年に優勝したチームでした。つまり選手のピークはすでに過ぎ、チーム状態は下降線をたどっていたのです。ここでエディーさんは、代表チームはクラブや地域のチームとは本質的に異なり、ゲーム数も少なく、選手との接触も限られていることに気づきます。2年後のワールドカップは自国開催ですから、気持ちは焦るし、プレッシャーは相当なものだったでしょうね。

――ここで、間違いをおかしたとエディーさんは振り返ってますね

髙橋 ええ、普段なら率直に気持ちを表すエディーさんなのに、彼らしくない行動をとったんですね。代表には、2001年にスーパーラグビーで優勝したプランビーズの選手たちが当然選ばれています。ところがエディーさんは、特別扱いしていると思われないよう、彼らを遠ざけてしまうんです。プランビーズの選手なら、そこまで言わなくても自分の気持ちを理解してくれるだろうと思ったんですね。

 ビジネスでも、互いに理解しあえていると信じ合う上司と部下のあいだでさえ、時としてこうした行き違いが見られるのではないでしょうか。

――本書では、「勝てる戦いに集中すること」を学んだと書かれてますね

髙橋 ヘッドコーチの仕事は多岐にわたります。選手のレベルアップを図るのは当然ですが、協会スタッフ、とくにCEOとうまくやっていかなければなりません。とかく全てをコントロールしたがるエディーさんなので、ときには協会内のもめ事にも巻き込まれたはずです。初めてワラビーズのヘッドコーチとして様々な仕事を経験し、そこで多くを学んでいったということでしょう。その後、日本代表やイングランド代表を率いる際、その経験が貴重な教訓となり、自分がコントロールできること――つまり代表選手のレベルアップを図ることに専念するようになっていったんですね。

――ワールドカップ直前にニュージーランドに大敗してしまうんですよね

髙橋 ええ、ワールドカップ直前のトライネーションズ(オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ3ヵ国による対抗戦で、現在ではアルゼンチンが加わり、ザ・ラグビーチャンピオンシップと呼ばれる4ヵ国対抗戦になっている)のホームゲームで、21対50という大差で敗れてしまいます。当然、サポーターには罵られ、メディアにさんざん叩かれます。

 ところがエディーさんは、このゲームを通じて「ニュージーランドを倒す方法が明確に見えてきた」と語っています。

――そして、照準をあわせていた準決勝ニュージーランド戦をむかえますね

髙橋 このゲームは2003年11月15日にシドニーで行われ、22対10でワラビーズが勝利します。

 このときエディーさんのとった戦略は明確でした。ニュージーランドは、フィールド上に「アンストラクチャー」と呼ばれる陣形の整わないカオスの状態が生まれたとき、一気にカウンターアタックを仕掛けてくるチームです。その強みを消すために常にボールを保持し続けようというのが、エディーさんの考えた基本的戦略だったのです。

 言うのは簡単ですが、実際にそのとおり遂行するには、チーム力とプレーヤーの規律が求められます。2年前にピークを過ぎたワラビーズを引き継ぎ、ここまで立て直したエディーさんの手腕は、高く評価されて然るべきだと思いますね。

――ありがとうございます。「ワラビーズを立て直すためにエディーさんがやったこと」ついてお話をお聞きしました。次回もよろしくお願いします。