美術史はビジネス戦略の歴史である。生活必需品ではない美術品を売るには高度な戦略が必要だったからである。誰もが知るナポレオンの名画にも、背後にある「作為」がある。『ビジネス戦略から読む美術史』(西岡文彦著、新潮社)から一部抜粋・編集して、上下にわたって紹介する。(前回の記事はこちら

画面を「盛った」アルプス越えの騎馬像

「盛り上手」ナポレオンのイメージ戦略、アルプス越えの絵が斜めを向く深い理由Photo:Fine Art/gettyimages

 フランス画壇の巨匠ジャック=ルイ・ダヴィッドが描いたナポレオン像として知られるのが『サン=ベルナール峠を越えるボナパルト』(1801)、いわゆる「アルプスを越えるナポレオン」である。後ろ脚で立つ白馬にまたがる若きナポレオンの勇壮な姿は、ルイ14世の肖像と並んで歴史の教科書などではおなじみだが、じつはルイ王の肖像がかなり写実的であるのに対して、このナポレオンの肖像はほとんど虚像に近い。 

 最大の虚構はナポレオンの乗っている白馬にあり、ナポレオンの愛馬をモデルに描いてはいるものの、アルプスを越える時ナポレオンが実際に乗っていたのは、馬ではなくロバと馬との交配種で寒さに強いラバであった。馬は寒さや悪路に弱く、後年のロシア遠征でのナポレオンの大敗の要因ともなっている。

 ナポレオンの死後には、事実に即して悪路に強いラバに乗る姿も描かれており、容貌も実際通りの小柄でずんぐりとした体型で描かれている。これに対して、ダヴィッドの「アルプスを越えるナポレオン」は容貌を理想化し長身で美形の青年に描いている。

 騎馬像は古来、権力者の最もフォーマルな肖像とされたからであり、ダ・ヴィンチのミラノ時代の『最後の晩餐』と並ぶ大仕事もミラノ公の騎馬像であったが、残念ながら試作の段階でフランス軍のミラノ侵攻により破壊されてしまっている。古代ローマ時代やそれに倣ったルネサンス時代には、広場のような公共空間には君主や英雄の騎馬像が設置されており、そうした記念碑的イメージの表現にあたっては、やはりラバより馬にさっそうと跨がる姿の方が望ましかったわけである。

 画面左下の岩にはナポレオンの姓ボナパルトの文字が、ローマ軍を撃破した古代カルタゴの将軍ハンニバル、西ヨーロッパ全域にわたるフランク王国を築いたカール大帝というアルプスを越え華々しい戦果を上げた伝説的英雄の名と共に刻まれている。

 画面には、今日でいうところの「盛った」表現が多く見られるが、近代皇帝のいわばオフィシャル・イメージとして何点もの模写が制作され、英雄的なイメージを流布させることになったのがこの騎馬像であり、その強烈なイメージは今日の教科書に至るまで英雄ナポレオンの面影を提供し続けている。