「どこかに行ってしまいたい」。仕事からも、絶え間なく携帯に送られるメッセージからも解放され、ここではないどこかに逃亡したい。そう思うことはないだろうか。しかし今の時代、自由に旅行することさえままならない。そんなときには地図をなぞって旅気分を味わうのはどうだろう。これを実現すべく、これまでありそうでなかった本が刊行された。『地図なぞり』だ。日本には魅力的な地形が多くある。そうした地形をお気に入りのペンでなぞってみると、驚くほどの没入感「ここではないどこか」を旅する感覚を味わえる。本書を推薦する養老孟司さんも「なぞるだけ なのになぜだか ハマってしまう」とコメントを寄せる。本連載では特別に、この本からその一部を紹介する。

台風はなぜ北に進むのかPhoto: Adobe Stock

台風シーズン到来

梅雨が明けると台風シーズンである。
天気予報やニュースで目にする台風の進路はたいていカーブを描いて北に進んでいる。

なぜ台風はあのような進路になるのだろう。
それには理由がある。
その理由を知ると台風情報を見る目が変わるだろう。

『地図なぞり』には台風の進路をペンでなぞっていただけるよう台風の進路図も載せている。
たとえばこれは2017年の「台風18号」。
九州、四国、本州、北海道、樺太(サハリン)を通ってユーラシア大陸に近づいた長旅の台風だ。

台風はなぜ北に進むのか2017年の「台風18号」。進路に倣って南から北に進路をなぞろう 『地図なぞり』より

台風より強い太平洋高気圧

夏の太平洋には「太平洋高気圧」がある。
よく耳にするこの高気圧はとても大きく台風の比ではない。
台風は大きく暴れん坊のイメージがあるが、巨大な太平洋高気圧の端っこできゅーっと渦を巻いている。

会社で言えば主流派ではなく、ひとりでちょっとおかしなことをしている社員、ぐらいの扱いである。たまに目立つが役員になることはない(僕です)。

台風はなぜ北に進むのか気象庁「天気図」を加工した国立情報学研究所「デジタル台風」に筆者加筆

先の2017年の台風18号が北上しているときの天気図を見ても、太平洋高気圧と台風の大きさの差は歴然としている。

台風はなぜ北に進むのか

この大きな高気圧に弾かれるようにその周りを移動するのが台風だ(学校の周りをバイクでぐるぐる走る卒業生の不良のように)。
そして高気圧からは時計回りに風が吹き出している。
台風はその風にのって北に進む。
傍若無人の台風がここまで高気圧に左右されているのは意外である。

次なる敵「偏西風」

高気圧の影響で北上する台風をまた違うキャラクターが待ち構える。
「偏西風」だ。西から東に吹く風である。

台風はなぜ北に進むのか

すると今度は偏西風に押されて進路が東に曲がる。

こうして太平洋高気圧と偏西風により、北上してから東にカーブするおなじみの台風のルートが完成する。あたりまえだと思っていたルートにはこのような理由があったのだ。

台風の消滅

台風がここまで周囲に影響されていたとは驚きである。
主流じゃない生き方もたいへんなのだ。

しかも台風のエネルギー源は水蒸気。
温かい海の上で上昇気流とともに水蒸気を得て成長する。
なので陸地に上陸するとエネルギーの供給が絶たれ弱まってしまう。

主流派ではなく、周囲に気を遣い、流され、流れついた土地ではエネルギー源が絶たれ弱まっていく。サラリーマン的には同情を禁じえない。そして北で消滅する。
ぜひ台風の気持ちになってなぞって欲しい地図である。

若い頃に叩かれない台風もいる

『地図なぞり』には台風の進路なぞりを楽しんでいただけるよう、進路図をいくつか掲載したのでもうひとつ紹介しよう。
2010年の「台風9号」だ。

台風はなぜ北に進むのか2010年の「台風9号」進路に倣って南から北に進路をなぞろう。『地図なぞり』より

西から日本に上陸した珍しい台風だ。
福井県に上陸したのは1951年から2021年7月までこの1回だけである。

この台風のポイントはエネルギーを保ったまま狭い対馬海峡を通り抜けられたこと。
ここで東西に進路がぶれて九州、朝鮮半島に上陸すると陸地であるために勢力が弱まるが、この台風はそうはならなかった。

そうして日本列島を背後から襲うような形で上陸した。
サラリーマンで言えば20代後半に厳しい部署で牙を抜かれなかったラッキーな社員である。

台風はなぜ北に進むのかこの台風はここが伏線だった。

台風は沖縄に「上陸」しない

ちなみに台風の「上陸」とは「台風の中心が北海道・本州・四国・九州の海岸に達した場合を言う」と気象庁が定義している。

そのため埼玉、山梨などの内陸の県では上陸がない。
また沖縄も上記の定義に入っていないため「上陸」には該当せず「通過」と呼ばれる。
(「沖縄に上陸した台風はない」は頻出トリビアなので覚えておいて飲み会で披露しましょう)
海があるのに上陸していない県は、宮城、福島、茨城、東京、富山、京都、鳥取、島根、香川と意外に多い。

台風情報を見るときは、台風が置かれた環境のことを考えるとまた感慨深いものになるだろう。
でも暴風雨には気をつけて!

参考
気象庁ホームページ
デジタル台風:台風上陸・通過データベース(完全版)
http://agora.ex.nii.ac.jp/digital-typhoon/disaster/landfall-full/
台風上陸回数(都道府県データランキング) https://uub.jp/pdr/g/typhoon.html