過去40年間におけるポップスソングの歌詞の変化に、どのような理由があるのか? 「世界的なリーディング・シンカー」といわれるノリーナ・ハーツ(ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン名誉教授)は、現代の孤独危機の構造とその処方箋をまとめた最新刊『THE LONELY CENTURY なぜ私たちは「孤独」なのか』のなかで、新自由主義がいかに孤独を悪化させてきたか述べている。そのわかりやすい悪影響・変化をポップスソングにも見ている。

食うか食われるか

現代人の孤独を悪化させているもの──それは、現代のライフスタイルや、仕事や人間関係の性質、都市やオフィスのデザイン、人と人の接し方、政府による市民の扱い方、スマートフォン依存症、そして人の愛し方などすべてだ。

この40年間で、ポップソングの主語が「私たち」から「私」に変わったのはなぜか孤独を悪化させるのは…(Photo: Adobe Stock)

だが、そのイデオロギー的な原点は、1980年代に確立したネオリベラリズム(新自由主義)にある。これは、自由を極端に重視する冷酷な資本主義の一形態で、現実離れした自助努力と、小さな政府、そして残酷なほど激しい競争を追求し、地域社会や集団の利益よりも個人の利益を上に位置づける。

なぜ、それが21世紀の孤独危機の根幹をなすのか。

第一に、新自由主義は世界の幅広い国々で、所得と富の格差を大幅に拡大してきた。1989年、米国の企業経営者の平均年収は、平均的な労働者の58倍だったが、2018年には278倍にも拡大した。英国では過去40年間で、所得上位1%の人たちの所得が国全体の所得に占める割合は3倍も増えて、上位10%が下位50%の5倍の所得を得るようになった。その結果、勝者だけが楽しめる社会が生まれ、大多数の人は負け組と感じるようになった。伝統的な仕事や地域の拠り所が失われ、社会のセーフティーネットが崩壊し、自分の社会的地位が低下しても、自分の力でどうにかしろと突き放された。もちろん高所得層も孤独になりうるが、経済的に「持たざる者」は、はるかに大きな孤独を味わうことになった。現代の失業と不況のレベルを考えると、これはとりわけ気を配る必要がある問題だ。

第二に、新自由主義は大企業と大手金融機関に一段と大きなパワーと自由を与えたため、株主や金融市場が世の中のルールや雇用条件を決めるようになった。それが労働者や社会全体に著しく大きな犠牲を強いてもお構いなしだ。このため2010年頃、現在の資本主義は有害無益だという考えが世界中に広がった。ドイツと英国と米国とカナダでは、国民の約半分が、政府は市場に夢中で、庶民をサポートしたり、そのニーズを考えてくれなくなった、と感じるようになった。それは無力感と孤独につながる。コロナ禍に際しては、各国政府は思い切った景気対策を打ち出したが(過去40年間のエートスとは正反対だった。ロナルド・レーガン米元大統領の1986年の発言「『私は政府の人間だ。助けに来た』という言葉ほど恐ろしいものはない」がよく表している)、この40年間に新自由主義が社会と経済に与えたダメージを修復するには、長い時間がかかるだろう。

第三に、新自由主義は経済関係だけでなく人間関係にも大きな変化をもたらした。このイデオロギーの牽引役となったマーガレット・サッチャー英元首相が1981年に「経済学はメソッドだ。その目的は、心と魂を変えることだ」と言ったように、新自由主義は、たんなる経済政策ではなかった。極端に競争的であることや、個人の利益を追求することを称えることで、現代人の人間関係や市民的義務を根本から変えた

人間は本質的に利己的なわけではない。そのことは、進化生物学の研究が明らかにしている。しかし政治家が、利己的で、食うか食われるかのマインドセットを推進し、「強欲は善だ」(1987年の映画『ウォール街』における名言)をスローガンにすると、結束や親切やお互いへの配慮は過小評価され、無駄とみなされるようになる。新自由主義の世界では、人間はホモ・エコノミクス(経済人間)に転落し、自分の利益で頭がいっぱいになった。

この変化は言語にも表れた。1960年代以降、「所属する」「義務」「一緒に」といった集団主義的な単語は、「達成する」「所有する」「個人的」「特別な」といった個人主義的な語句に置き換えられてきた。ポップソングの歌詞でさえ、この40年で「私たち」が「私」に変わってきた。1977年、クイーンは「俺たちはチャンピオンだ」と歌い上げ、デヴィッド・ボウイは「ぼくらはヒーロになれる」と歌ったが、2013年にカニエ・ウエストは「オレは神だ」と言い、アリアナ・グランデは2018年、自分へのラブソング「thank u, next」を大ヒットさせた。

これは欧米だけの現象ではない。中国科学院とシンガポールのナンヤン・ビジネススクールの研究チームが、1970年から40年間の中国の年間トップ10ソングを調べたところ、一人称の歌詞が年々増えて、「私たち」が減ってきたことを発見した。伝統的に大衆の結束が強く、集団主義的で、政府の統制が厳しい中国でさえ、超個人主義的な新自由主義のマインドセットが根を張ってきたのだ。

新自由主義によって、現代人はみずからを協力者ではなく競争者、市民ではなく顧客、共有者ではなく独占者、与える者ではなく奪う者、手を貸す者ではなく巻き上げる者とみなすようになった。忙しくて隣人に寄り添わないどころか、隣人の名前さえ知らなくなった。だが多くの意味で、これは合理的な反応だ。新自由主義で、私が私のために存在しなかったら、誰が助けてくれるのか。市場? 国? 雇用者? 隣人? どれもありえない。「私がすべて」の自己中心的な社会では、誰も頼りにできないから、自分で自分の面倒を見なくてはいけないと誰もが感じる。社会が孤独になるのは当然だ。

自己中心的な社会は、自己永続的なサイクルにもなる。そんななかで私たちが孤独を感じないためには、人から奪うだけではなく与え、周囲に気を配り、お互いに親切に振る舞い、敬意を払わなければならない。また、私たちを引き裂こうとする世界で結束するためには、資本主義と公益をもう一度結びつけ、思いやりと協力を中心に据えたコミュニティーをつくり、それを自分とは異なる人たちにも広げる必要がある。これは大きなチャレンジだ。自分と似ている人たちだけでなく、もっと大きなコミュニティーとの関係をつくり直さなければならないのだ。ポスト・コロナ時代に、それはこれまでになく緊急に必要になると同時に、これまでになく実現可能にもなるだろう。

私が今回、拙著『THE LONELY CENTURY なぜ私たちは「孤独」なのか』を執筆した目的は、21世紀の孤独危機のスケールと、このようになった理由、そして何も対策を講じなければ事態が悪化することを明らかにするだけでなくアクションを呼びかけることだ。政府と企業だけでなく、個人のアクションも呼びかけたい。

なぜなら私たちは、個人として社会の影響を受けるだけでなく、社会の一員として社会に影響を与えることができるからだ。孤独による破壊にストップをかけ、失われた共同体意識や結束意識を取り戻すためには、私たち自身がやらなければいけないことがある。また、個人主義と集団主義、自己利益と社会的利益、匿名性と親密性、利便性の追求と心配り、自分にとって正しいことと共同体にとって最善のこと、そして自由と友愛の間で調整を図る必要がある。この選択は必ずしも相互に排他的ではないが、新自由主義がコストはゼロだと約束してきた自由の一部は、手放す必要があるだろう。

その中核には、この孤独危機を乗り越えるうえで、誰もが重要な役割を果たすことができるという認識がある。社会をバラバラにするプロセスは、おおむね政府やシステムや大企業によるトップダウン式の決定で進んできたかもしれないが、社会を再び結びつけるプロセスは、トップダウン式のイニシアチブだけでは不可能だ。

したがって同書では、政治や経済だけでなく、個人レベルでも、現在の分断と孤立と孤独を食い止めるアイデアや考え方や事例を紹介した。
21世紀は孤独の世紀だ。だが、それは今からでも変えられる。
未来は私たちの手の中にあるのだから。

ノリーナ・ハーツ(Noreena Hertz)
ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン名誉教授
戦略、経済的リスク、地政学的リスク、人工知能(AI)、デジタルトランンスフォメーション、ミレニアル世代とポストミレニアル世代について、多くのビジネスパーソンや政治家に助言している。「世界で最もインスピレーションを与える女性の1人」(ヴォーグ誌)、「世界のリーディングシンカーの1人」(英オブザーバー紙)と評価され、世界のトレンドを見事に予測してきた。19歳で大学を卒業し、ケンブリッジ大学で博士号を取得した後、ペンシルベニア大学ウォートンスクールでMBAを取得。ケンブリッジ大学国際ビジネス・経営センターの副所長を10年務め、2014年より現職。最新刊『THE LONELY CENTURY 私たちはなぜ「孤独」なのか』が7/14発売。