理化学研究所所長 大河内正敏
「ダイヤモンド」誌1935年9月21日号に掲載された、理化学研究所の大河内正敏(1878年12月6日~1952年8月29日)へのロングインタビュー。全3回に分けて紹介してきた最終回では、製鉄業や人造石油といったテーマを扱っている。

 インタビューが行われた1935年というのは、31年の満州事変、33年の国際連盟脱退を経て、日本が国際社会から孤立化していた時期だ。当時の日本は石油の90%を海外からの輸入に頼っており、そのうち約3分の2を米国産に依存しており、エネルギー政策が喫緊の課題だった。そこで、石油自給率を高めるために注目されていたのが、人造石油だった。

 すでに当時、ドイツ人化学者でノーベル賞も受賞したフリードリッヒ・ベルギウスが開発した、石炭を微粉砕して重油と混ぜ、水素を作用させて石油に変換する「ベルギウス法」と呼ばれる人造石油の製造技術が知られていた。日本は石炭は自給できていたので、石炭を液体燃料に、つまり石油に変えようと考えたわけだ。実際、37年1月に「人造石油7カ年計画」という国家プロジェクトがスタートする。

 ただし、人造石油にはコストがかかる。大河内は「石油不足は化学工業で補えるか」との質問に、「補えます。石炭の液化でいけるが、経済的にはいかん。しかし有事のときはやるほかない。石炭だけでなく、あらゆる油は、石油に変えられる。魚油でも、植物油でも、獣の油でも、皆やれる。ただそろばんが取れないだけです」と答えている。

 人造石油に関しては本連載でも、戦時中の物資動員計画を立てる企画院総裁を務めた鈴木貞一が、200万~300万トン規模の製造設備を作ろうとしたが、「陸・海軍の資材の配給が減るから駄目だといって、こぞって反対した」(鈴木)ことで頓挫した話を披露している。

 資材、特に製鉄業については、大河内はインタビューの中で「今日の製鉄工業は世界中で、日本が一番適しているのです」と語っている。「日本は非常に良い港湾を持っている。港さえ持っていればどこからでも、良い鉱石を安く得られます。製鉄に適した石炭を得られます」(大河内)。

 しかし、鉄の自給も困難だった。当時の日本の鋼材は、主として米国から輸入したスクラップで作っていたが、大河内の製鉄業に関する楽観論に記者は気を良くしたのか、「米国からスクラップの輸入を止めるべきか」と尋ねている。大河内は、さすがに時期尚早と考えたのか「ありません。また、止める必要はありません。いくらでも買う方がよいと思います。スクラップで作れば、鋼が一番安くできる。どしどし入れた方がよい」と答えている。

 実際は、40年の日本軍によるフランス領インドシナ(現ベトナム)進駐を機に日米関係が決裂、米国に鉄スクラップや石油を禁輸される。こうした対日経済封鎖により日本の生産能力は大幅に低下するが、逆に日本は武力で封鎖を突破すべく無謀な戦争を始めてしまったのである。

 こうした史実の“前夜”に語られたインタビューとしても、非常に興味深い内容となっている。(敬称略)(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)

必ず利益を差し上げるから
資本家は黙って理研を信頼して

――知能主義経営法の実際のやり方、資本家の方から金を集める方法はどうあるべきかという問題について博士のご説明を承りたい。

1935年9月21日号1935年9月21日号より

 それは、要するに、理研を信頼してくださればよい。他のものに投資するよりもうかればよいではありませんか。それを説明するには、今のピストンリングが一番いい例です。現在、日本にピストンリングを製造しているところが10いくつあります。しかし、そろばんの取れているところはほとんどありません。利益を上げているのは、私のところだけです。理研の統制下にある以上、必ず余計の利潤を挙げてみせるという確信をわれわれは持っているのです。

 理研には24の研究室があり、それに800人以上の人がおり、それを総動員するんですからね。いろいろ理攻めの研究が生まれてきます。どうすれば生産費を下げてもうかるか。ごく俗の研究です。真理の研究でも、学問の研究でもない。もうけの研究です。この研究を私の室がやっています。それが私の研究室の使命なんです。応用の方は私と鈴木梅太郎君とです。

――理研は資本家に何か希望がありませんか。

 希望は大いにあります。理研を後援するコンツェルンに対して投資してもらいたいということです。そして、その投資は、黙ってわれわれを信頼してもらいたいのです。その代わり、他へ投資するより必ず余計の利益を差し上げます。文句を言う投資は一番いけない(笑)。これくらいわれわれの趣意に反したものはありません。

――富豪の寄付はありますか。

 隠れた寄付者はあります。

――欧米の工業と比較して日本の工業は進んでいますか、劣っていますか。