日立 最強グループの真贋#8Photo by Hideyuki Watanabe

日立製作所の東原敏昭会長CEO(最高経営責任者)は、日本経済団体連合会前会長の中西宏明氏から社長を引き継いでから7年間、数千億円から1兆円規模の事業の買収・売却を続けて事業ポートフォリオの変革に注力してきた。東原氏の経営は、川村隆(元・日立会長)―中西体制が敷いたレールの踏襲と評されることが多いが、そうした評価に対して、東原氏自身は葛藤を覚えていたようだ。特集日立 最強グループの真贋(全12回)の#8では、後継社長の指名を果たした今だからこそ語れる、壮絶な再建秘話について聞いた。(ダイヤモンド編集部 千本木啓文)

大企業病を退治する荒療治
壮絶BU長会議の実態とは

――社長を小島啓二氏に引き継ぎました。社長としての7年を振り返ってもらえますか。

 日立製作所は2009年3月期に7873億円の赤字になりました。そこから川村(隆)さん(元会長兼社長)がV字回復を成し遂げ、中西(宏明)さん(元会長)に引き継ぎました。

 私は14年に中西さんからバトンを受けて社長COO(最高執行責任者)になりました。それから社内の実態を知るにつけ、このままでは日立がもう一回赤字になるという危機感をひしひしと感じていました。「V字回復」ではなく、「W回復」になりかねなかったのです。

 営業利益は16年3月期に6%まで改善していましたが、社内を見ると、やっぱり甘えがあった。大企業病や「ゆでガエル現象」が払拭し切れていませんでした。もう一回改革が必要だと思って、16年にCEO(最高経営責任者)になるやいなや、社内の組織をスクラップしました。

 それまで、情報カンパニーだけで2兆円弱の売上高があるなど大所帯だった組織を、ビジネスユニット(BU)に細分化して、内実を見えやすいようにしました。

 それから毎月CEOの下でBU長会議を始め、BU単位で全部問題点を出させて、私がハンズオンで改革していきました。「なんで君のところは3%の利益率しかないんだ」とか、「5%未満の仕事はやめてしまえ」とか、「どこかと統合した方がいいんじゃないか」とか大いに議論しました。

 それで、だんだん利益が出せるようになり、18年中期経営計画の目標だった営業利益率8%が達成できました。これが一つの区切りでした。

――日立が成長分野に位置付ける産業向けのデジタルトランスフォーメーション(DX)事業では、工場の制御機器などで高いシェアを持っていると有利です。しかし、日立には「強い製品」は少なく、「世界一の製品」は一つもありませんでした。