織田信長は「明国征服」を考えていた? 大航海時代の宣教師が記した真の姿Photo:Andia/GettyImages

誰もが知る戦国武将・織田信長。彼が活躍した時期は、ちょうど世界の大航海時代と重なる。日本にも宣教師が訪れた。彼らの目に戦国武将「織田信長」はどう映ったのか。また、彼らとの出会いから信長は何を得て、どんな行動に出たのか。信長と外国勢力との関係性について解説する。(歴史学者 濱田浩一郎)

宣教師が見た織田信長
来日の真の目的とは

 信長が活躍していた頃、世界は「大航海時代」の真っただ中でした。15世紀頃より、主にポルトガルとスペインが世界規模の航海を行い、新航路や新大陸を発見していきました。16世紀後半になると、イギリスやオランダ、フランスもそれに加わり、アジア、アフリカ、南北アメリカの領土獲得や植民地交易に狂奔しました。

 そうした中、1543年、ポルトガル人が乗った船が種子島(鹿児島県)に漂着、鉄砲を伝えたといわれています(船の持ち主は、明の人・王直でした)。1549年には、ポルトガル系のイエズス会士、フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸。九州各地や山口を巡り、布教に努めます。その後、1584年にはスペイン船が来航しました。

 彼らは何のために日本にやって来たのか。もちろん、布教や交易といったこともあったでしょうが、その真の目的は、イエズス会の宣教師アレッサンドロ・ヴァリニャーノがマカオからフィリピン総督に宛てた手紙(1582年)で明らかとなっています。

次ページ以降では、宣教師が日本を訪れた真の目的や織田信長と宣教師の出会いがもたらした変化などを解説します。