伊藤忠商事の瀬島龍三元会長伊藤忠商事の瀬島龍三元会長 Photo:JIJI

本格的な職業生活はなく
44歳で入社した瀬島隆三

 嘱託として入社して1年後、瀬島龍三は航空機部の次長になり、翌年は機械第三部長、翌々年には業務部長になっている。

 小説『不毛地帯』(山崎豊子著)の影響で、戦闘機納入で活躍したように思っている人は少なくない。だが、本人も言っているが、「実際には何もタッチしていない」。

 航空機部の次長とはいっても専門知識があったわけではない。やっと日本のビジネス社会に適応し始めたところなのだから。

 彼の履歴を見ると、13歳から33歳までは陸軍の教育を受けていた。幼年学校、士官学校、陸軍大学にいた期間が大半だ。

 参謀をしていたとはいっても中枢の仕事ではなかった。

 そして、33歳からは11年間、シベリアに抑留され、俘虜(ふりょ)(捕虜)収容所で過ごしている。帰国してから2年間は何もしていない。44歳で会社員になるまで本格的な職業生活はなかった。

 その彼が入社してすぐに航空機の売り込みに辣腕(らつわん)を発揮するとは考えられない。もし、そうだとすればそのまま航空機部の部長に昇進していただろう。

 考えてみると、彼が航空機部でほぼ何も貢献できなかったことには理由がある。それは当時、職業軍人から民間企業に行った誰もが直面した問題だった。

 職業軍人は商品、客、販売といった言葉はもちろん知っていたけれど、言葉が腹にストンと落ちるまでには時間がかかっただろう。

 軍隊は商品を販売しない。軍人は客という存在にも会ったことはない。武器、装備品などを客として調達、購入する立場の者はいたけれど、営業マンとして商品やサービスを売ったことのある職業軍人はいない。

 また、民間会社の方も、30代、40代で中途入社してきた陸大卒のエリート参謀将校に、客に会ったときの名刺の渡し方、セールストーク、接待の席での会話、お土産の渡し方などを教えることはない。