与党が経済対策の一環として現金給付を検討しているが、これを「バラマキ」と呼んで批判する声が多い。矢野・財務次官が、日本は財政破綻に向かっていると警告し、大規模な経済対策や消費減税といった与野党の政策論を「バラマキ合戦」と批判したのも、記憶に新しい。このように「バラマキ」とは、財政出動を批判する際の常套句となっているが、これは単に「バラマキ」というレッテルを貼っているだけで、驚くほど中身のないスカスカの批判にすぎない。なぜそうなってしまうのか? 最新刊『変異する資本主義』(ダイヤモンド社、11月17日発売)で、世界最先端の財政論争を分析した中野剛志氏が、日本における「バラマキ論争」が不毛に陥る理由を解説する。

「バラマキ批判」の中身がスカスカである“根本理由”とは?写真はイメージです。Photo: Adobe Stock

日本の「政策論争」が不毛に終わる理由

 与党が経済対策の一環として現金給付を検討している。しかし、現金給付については、これを「バラマキ」と呼んで批判する声が多い。

 矢野康治・財務事務次官が、『文藝春秋』(11月号)誌上で、日本は財政破綻に向かっていると警告し、大規模な経済対策や消費減税といった与野党の政策論を「バラマキ合戦」と批判したのも、記憶に新しい。

 このように「バラマキ」とは、財政出動を批判する際の常套句となっている。

 もっとも、その意味するところは必ずしも明らかではない。

 もちろん、「バラマキ」とは、不必要な歳出のことを意味するのであろう。しかし問題は、バラマキ(不必要)か否かを判断する基準が、はっきりしないことなのだ。

 そこで、政策論争を意義あるものとするため、バラマキか否かの判断基準について、整理しておこう。

 第一の基準は「財政の余地」である。

 なぜ「財政の余地」が、バラマキか否かの判断基準になるのか。それは、何が必要な歳出で、何が無駄な歳出であるかの判断は、財源をどう見積もるかによって変わってくるからである。

 例えば、現金給付の対象に関して「本当に困っている人に限定すべきだ」として、所得制限を求める議論がある。

「本当に困っている人に限定すべき」というのは、確かにその通りではある。

 しかし、コロナ禍には、ほぼ全国民が困ったのである。また、長期にわたって続くデフレにも、一部の富裕層を除いて、みんな困っていた。

 ならば、現金給付の対象は、ほぼ全国民にしてもよいわけだ。しかし、それができないと思うのは、財源に限りがあると考えているからであろう。

 矢野財務次官のような財政破綻論者であれば、いかなる現金給付をも「不必要」と判定するだろう。もし、財政破綻したら、全国民が「本当に困っている人」になるだろうからだ。

 もちろん、財政破綻論者たちは「必要な歳出なら躊躇なくすべきだ」「賢い支出であれば反対しない」などと口では言う。しかし実際には、いかなる歳出増も渋るのである。財政破綻の危機に瀕しているならば、歳出削減より優先すべき支出目的などないはずだからだ。

 このように、何が必要な歳出かは、「財政の余地」がどれほどあるか次第で、大きく変わるのである。