ジェフ・ベゾス自身の言葉による初めての本『Invent & Wander』が刊行された。100万部ベストセラー『スティーブ・ジョブズ』などで知られるウォルター・アイザックソンが序文を書き、翻訳も100万部超『FACTFULNESS』などの関美和氏が務める大型話題作だ。
その内容は、PART1が、ベゾスが1997年以来、毎年株主に綴ってきた手紙で、PART2が、「人生と仕事」について語ったものである。GAFAのトップが、自身の経営についてここまで言葉を尽くして語ったものは二度と出てこないのではないか。
サイトとしてだけでなく、キンドル、プライム・ビデオ、AWSなど、多くの人が「アマゾンのない生活など考えられない」というほどのヒットサービスを次々と生み出し、わずか20年少しで世界のあり方を大きく変えたベゾスの考え方、行動原則とは? 話題の『Invent & Wander』から一部を特別公開する。

ジェフ・ベゾスが「批判ばかりの相手」に放った衝撃名言Photo: Adobe Stock

「本」ほど珍しい商品はない

 プリンストン大学を卒業した私はニューヨークに行き、クオンツ系ヘッジファンドで働くことになった。デヴィッド・ショーの経営するD. E. ショーという会社だ。入社したときたった30人だった社員は、私が辞めるころには300人ほどにもなっていた。

 デヴィッドは私が知る中でも最高に頭のいい人間の一人だ。彼から学んだことは多く、アマゾンを起業したときも、人事や求人や、どんな人材を採るべきかといったことについて、彼から得た発想や原則をたくさん使わせてもらった。

 1994年にインターネットについて聞いたことがある人はほとんどいなかった。使っていたのは、科学者か物理学者くらいだった。D. E. ショーでは、限られたことに少しだけインターネットを使っていた。そのときたまたま、ウェブ──ワールド・ワイド・ウェブ──が年率2300パーセントで伸びているらしいと知った。

 いま利用している人はとても少ないとはいえ、これだけの速さで伸びているものはかならず大きくなると思った。だからインターネットを使った商売を思いつけば、勝手に市場は伸びてくれて環境はよくなるだろうと考えた。

 そこで、オンラインで売れそうな商品をずらりと書き出してみた。それをランク付けして、本を選んだ。書籍はある一点で段違いに珍しい商品だったのだ。

 それは、ほかのどのカテゴリよりも、アイテム数が多いこと。世界中で300万もの異なるタイトルが存在する。それなのに、最も大きな書店でも置けるのは15万タイトルほどでしかない。

 つまり、この世の中にあるすべての本をアマゾンで売ろうというのが最初の発想だった。そして、それをやった。数人を採用し、ソフトウェアをつくった。シアトルに移ったのは、当時世界最大の書籍の倉庫がオレゴン州ローズバーグというシアトルの近くの街にあったのと、シアトルならマイクロソフト出身の人を採用できるだろうと思ったからだ。

「80歳になったとき後悔しないか?」という判断基準

 上司のデヴィッド・ショーに、こういうことをやろうと思うと話すと、セントラルパークに連れ出されて長い散歩に付き合うことになった。私の話をずっと聞いてくれたあと、デヴィッドは言った。

「ジェフ、そうだな、すごくいいアイデアだと思う。いいアイデアには違いないがね、でも君のようにいい仕事に就いていない人なら、もっといいと思うよ」

 それはもっともだと思ったので、デヴィッドの説得であと二日考えてから最終的に決めようということになった。

 でも、こんなすごいチャンスを逃したくないという気持ちが勝った。頭ではなく心が動いた。80歳になったとき、人生のあれやこれやを後悔したくないし、後悔のほとんどは省いたこと、やらなかったこと、選ばなかった道なのだ。そうしたことが、いつまでも心残りになってしまう。

 起業してしばらくは、郵便局まで私が本を運んでいた。さすがにいまはもうやらないが、何年もそうしていた。最初の数か月は硬いコンクリートの床に膝をついて、箱詰め作業をしていた。横でひざまずいていた仲間に「膝当てがいるな。膝が痛い」と言うと、「いや、必要なのは作業台です」と返された。そりゃそうだと思って、翌日、店で作業台を買ってきた。すると箱詰め作業が2倍はかどるようになった。(中略)

「『利益』って書けますか?」という露骨な批判

 インターネットバブルの頂点で、アマゾンの株価は113ドルの最高値を記録し、バブルが弾けると一年もしないうちに6ドルまで下がった。2000年度の株主への手紙では、冒頭にひとこと、「いたた」と書いた。

 あれは非常に興味深い時期だった。株価は企業ではないし、企業は株価ではない。私は株価が113ドルから6ドルまで落ちるのを見ながら、同時に社内のすべての事業指標を見張っていた。顧客数、単品利益、欠陥品など考え得るすべての数字を(詳細は2000年の手紙を読んでいただければわかる)。事業のあらゆる指標が上向いていたし、加速していた。株価は下がっていたが、社内では何もかもがうまくいっていたので、資金調達の必要はなかった。すでに資金は十分にあったので、淡々と進歩を続けていくだけだった。

 そのころ、有名ニュースキャスターのトム・ブロコウの番組に呼ばれた。当時有名だった5、6人のインターネット起業家と一緒にインタビューされた。トムはいまでこそいい友人だが、あのときは私に向かってこう言ったのだ。

「ベゾスさん、あなた、利益(PROFIT)という言葉を正しく綴れますかね?」

 私は答えた。

「ええ、もちろん。P-R-O-P-H-E-T(預言者)ですよね」

 トムは吹き出した。

 世間はいつも、アマゾンが1ドル札を90セントで売って、「ほら、これなら誰でもできるし、収益も上がるよ」と言っているだけだと批判してきたが、私たちがやってきたのはそういうことではない。アマゾンは昔から粗利は出ている。そして固定費型ビジネスなので、社内の指標から、販売量が一定の水準を超えると固定費を回収して、高収益になることがわかっていたのだ。

(本原稿は、ジェフ・ベゾス『Invent & Wander』からの抜粋です)

ジェフ・ベゾス(Jeff Bezos)
アマゾン創業者、元CEO。宇宙飛行のコスト削減と安全性向上に取り組む宇宙開発企業、ブルーオリジン創業者。ワシントン・ポスト社オーナー。2018年、ホームレスの家族を支援する非営利団体の支援や、低所得地域の優良な幼稚園のネットワーク構築に注力するベゾス・デイワン基金を設立。1986年、プリンストン大学を電気工学とコンピューターサイエンスでサマ・カム・ラウディ(最優秀)、ファイ・ベータ・カッパ(全米優等学生友愛会)メンバーとして卒業、1999年、タイム誌「パーソン・オブ・ザ・イヤー」選出。『Invent & Wander──ジェフ・ベゾス Collected Writings』を刊行。