生きづらさを抱える“やさしい若者”に、企業はどう向き合えばよいか

学生をはじめとした若者たちはダイバーシティ&インクルージョン(D&I)の意識が強くなっていると言われている。一方、先行き不透明な社会への不安感を持つ学生も多い。企業・団体はD&Iを理解したうえで、そうした若年層をどのように受け入れていくべきなのだろう。神戸大学で教鞭を執る津田英二教授が、学生たちのリアルな声を拾い上げ、社会の在り方を考える“キャンパス・インクルージョン”――その連載第1回をお届けする。(ダイヤモンド社 人材開発編集部)

いま、“やさしい世代”の生きづらさを考えてみる

 既に半世紀を生きた私が青年だった頃、私たちは次のように評された。一見、周囲に鋭い刃を向けているようで、一歩踏み込むと実は孤独を抱えたやさしい世代だ、と。私たちの世代は、「孤独を瞳にうかべ」「夜の校舎の窓ガラスを壊してまわった」尾崎豊を内面に抱えて青年期を過ごした世代と言えるかもしれない。

 時代を経て、かつて青年であった私が、今度は息子・娘の世代の新しいやさしさに直面し、戸惑っている。その新しいやさしさというのは、友だちをはじめとする他者との関係性にとても敏感で、自分が他者からどう見えるかということに強い関心があり、同時に他者を傷つけることがないよう懸命に注意を払う、そんなようなやさしさである。

 例えば、大学教員の私は、就活に失敗した学生がプツンと周囲との関係を断ち切ってしまうという状況に直面することが多くなったと感じている。「失敗した格好悪い自分を他人の前に曝したくないのかなあ」と想像したりする。「そんなに気遣わなくても、あなたは十分すてきだよ」と声をかけたくなる。また、どうやったら友だちの心を傷つけずに自分の意見を伝えることができるか、悩んだ挙句に自分の意見を言い出せないでいる学生を目にすることも多い。「その気遣いはとても尊いことなんだけれども……」。

 同時に、そのようなやさしさに疲れてしまった若者たちとも多く出会う。そもそも、他人を気遣うことが苦手だと訴える学生もいる。若者たちに共通するテーマは「生きづらさ」という言葉で表現できるようにも思う。言うなれば、孤立を怖れて仲間と群れようとする関係の中で、周囲を気にしすぎて自分が希薄になっていくような感覚。そういったことが、現代の若者の多くが抱える「生きづらさ」になっているように感じる。

 企業などでも、新入社員である若者たちに対して、私と同じような戸惑いを感じている管理職や人事担当者がいるのではないかと思う。一歩前を生きる私たちが若者たちにどのようにエールを送れば届くのか、私なりに感じていることを述べてみたい。