唾液はどこから出ているのか?、目の動きをコントロールする不思議な力、人が死ぬ最大の要因、おならはなにでできているか?、「深部感覚」はすごい…。人体の構造は、美しくてよくできている――。外科医けいゆうとして、ブログ累計1000万PV超、Twitter(外科医けいゆう)アカウント9万人超のフォロワーを持つ著者が、人体の知識、医学の偉人の物語、ウイルスや細菌の発見やワクチン開発のエピソード、現代医療にまつわる意外な常識などを紹介し、人体の面白さ、医学の奥深さを伝える『すばらしい人体』が発刊。たちまち10万部突破のベストセラーとなっている。「TBSラジオ 安住紳一郎の日曜天国」(2021/11/21 著者出演)、「日本経済新聞 2021/11/6」『ベストセラーの裏側』、「読売新聞 2021/11/14」(評者:南沢奈央氏)、「朝日新聞 2021/10/4」『折々のことば』欄(鷲田清一氏)、NHK「ひるまえほっと」『中江有里のブックレビュー』(2021/10/11放送)、TBS「THE TIME,」『BOOKランキングコーナー』(第1位)(2021/10/12放送)でも紹介されるなど話題を呼び、坂井建雄氏(解剖学者、順天堂大学教授)「まだまだ人体は謎だらけである。本書は、人体と医学についてのさまざまな知見について、魅力的な話題を提供しながら読者を奥深い世界へと導く」と絶賛されたその内容の一部を紹介します。好評連載のバックナンバーはこちらから。

【意外に知らない人体の常識】走っていてもブレずにしっかり景色が見えるのはなぜ?Photo: Adobe Stock

目の動きをコントロールする力

 ここで一つの実験をしてみよう。スマホでこの記事を読んでいる方は、スマホを両手で左右に細かく揺らし、その状態で文字を読もうとしてみてほしい。文字が左右にぶれて、とても読み進めることはできないだろう。当然のことだ。

 では逆に、頭のほうを左右に細かく揺らすとどうだろうか?

 先ほどと同じ幅で、かつ同じ速度で左右に振りながら、文字を読もうとしてみてほしい。スマホを揺らすのと比べると、はるかに読みやすいのではないだろうか? 頭を左右に振っても、意外に視野はぶれないのだ。

 これには、私たち動物が持つ「前庭動眼反射」という機能がかかわっている。耳の奥にある前庭や半規管という器官が頭の動きを感知し、瞬時に逆方向に(打ち消す方向に)眼球を回転させ、視線のブレを防いでいるのだ。

 試しに鏡で自分の顔を見つめながら、頭を左右に振ってみよう。目を動かそうと思わなくても、顔の向きとは反対方向に眼球は自然に動くはずだ。

 道を歩いているときも、あるいは走っている最中ですら、私たちの視野は安定している。頭がどれだけ揺れていても、周囲の景色をくっきり認識できる。走りながら道路標識の文字を読むことすらできるはずだ。顔の動きに合わせて、自動的に眼球が動いてくれるからである。

 この機能は、あらゆる動物が生きる上で大切である。逃げるシマウマを追いかけるライオンが、シマウマを視野の中央にしっかり捉えたまま高速で走れることを考えれば、その重要性がよくわかるはずだ。

 こうした反射は、意図とは関係なく常に行われているため、私たちはそのありがたみに気づきにくい。だが、例えば走りながらカメラで周囲の景色を撮影すると、どんな映像が撮れるかを想像してみてほしい。上下左右に激しくぶれて、とても見るに耐えない映像になるはずだ。もし私たちに前庭動眼反射がなかったら、こういう景色の中で生きることになるのである。

 ちなみに、近年のホームビデオには、「光学式手ぶれ補正」と呼ばれる高度な機能が搭載されているものがある。カメラの動きに合わせてレンズが逆方向に動き、映像のぶれを軽減するのだ。

 しくみとしては前庭動眼反射と同じである。昔に比べると、ホームビデオの進歩は本当に凄まじい。だが、もっと「凄まじい」のは私たちの眼球なのだ。

耳は平衡感覚を司る

 知人の眼科医から聞くところによると、「めまいがする」といって眼科を受診する人はとても多いのだという。「めまい」は漢字で「目眩」と書くくらいであるし、視野がぐるぐる回ると「目の病気だ」と考えるのはむしろ自然かもしれない。

 だが実は、めまいの原因は目以外にあることが多い。病院でよく経験するのは、「耳の病気」で起こるめまいである。

 耳は音を聞くための器官、すなわち聴覚を司っていることは誰でも知っている。しかし、耳が平衡感覚を司る器官でもあることは、意外に知られていない。耳の奥の「内耳」と呼ばれる領域で、前庭や半規管が平衡感覚を司っているのだ。

 一方、内耳には「蝸牛」と呼ばれる器官もあり、こちらは聴覚を担っている。「蝸牛」とは、ご存じの通り「カタツムリ」のことだ。形がカタツムリに似ていることからそう名づけられている。

 耳の入り口から入った音は鼓膜や耳小骨(中耳にある小さな三つの骨)を振動させ、これが蝸牛を経由し、電気信号となって神経を通って脳に送られる。

 さて、前庭や半規管が何らかの理由で不具合を起こすと、平衡感覚が損なわれる。この状態を、私たちは「めまい」と認識するのだ。メニエール病や前庭神経炎、良性発作性頭位めまい症といった病気は、「めまい」を引き起こす代表的な「耳の病気」である。

 ちなみに、「突発性難聴」という耳の病気がある。その名の通り、突然耳が聞こえにくくなる原因不明の病気だ。実は、その二~六割の患者が同時にめまいを発症する(1)。

「難聴」と「めまい」は、一見するとかけ離れた症状に思えるだろう。だが、聴覚と平衡感覚を同じ場所にある器官が担うと知っていれば、それほど違和感はないはずだ。内耳に起こったトラブルが、聴覚と平衡感覚の両方に異常を引き起こすのだ。

 ただし、めまいの原因は耳以外にも多くある。脳梗塞や脳出血など、脳のトラブルが原因でめまいが起こることもある。また、貧血や不整脈などが原因で、「ふらつく」「立ちくらみがする」といった症状が起こっているときに、これを「めまい」と表現する人もいる。異なる病気によって起こる、異なる現象を、同じ言葉で「表現できてしまう」のだ。

 あらゆる自覚症状は、本人しか体験できない。医師がどれほど技術を磨いても、自覚症状だけは追体験できない。この極めて「個人的な体験」を何とか言語化し、体内で起こる異常に迫ろうとするのが医学の営みである。

監修:前田陽平(大阪大学医学部附属病院耳鼻咽喉科)

【参考文献】
(1)“Sudden sensorineural hearing loss in adults: Evaluation and management” Peter C Weber. UpToDate.

(※本原稿は『すばらしい人体』を抜粋・再編集したものです)