唾液はどこから出ているのか?、目の動きをコントロールする不思議な力、人が死ぬ最大の要因、おならはなにでできているか?、「深部感覚」はすごい…。人体の構造は、美しくてよくできている――。外科医けいゆうとして、ブログ累計1000万PV超、Twitter(外科医けいゆう)アカウント9万人超のフォロワーを持つ著者が、人体の知識、医学の偉人の物語、ウイルスや細菌の発見やワクチン開発のエピソード、現代医療にまつわる意外な常識などを紹介し、人体の面白さ、医学の奥深さを伝える『すばらしい人体』が発刊。たちまち10万部突破のベストセラーとなっている。「朝日新聞 2021/11/27」『売れてる本』(評者:郡司芽久氏)、「TBSラジオ 安住紳一郎の日曜天国」(2021/11/21 著者出演)、「日本経済新聞 2021/11/6」『ベストセラーの裏側』、「読売新聞 2021/11/14」(評者:南沢奈央氏)、「朝日新聞 2021/10/4」『折々のことば』欄(鷲田清一氏)、NHK「ひるまえほっと」『中江有里のブックレビュー』(2021/10/11放送)、TBS「THE TIME,」『BOOKランキングコーナー』(第1位)(2021/10/12放送)でも紹介されるなど、話題を呼び、坂井建雄氏(解剖学者、順天堂大学教授)「まだまだ人体は謎だらけである。本書は、人体と医学についてのさまざまな知見について、魅力的な話題を提供しながら読者を奥深い世界へと導く」と絶賛されている。今回は「医療ドラマ」をテーマに著者が書き下ろした原稿をお届けする。好評連載のバックナンバーはこちらから。

【医療ドラマあるある】医療ドラマではカットされがち…「緊急手術」を行う前の「超重要なこと」とは?Photo: Adobe Stock

大門未知子の「手術室に運ぶよ!」の真実

 医療ドラマでは、頻繁に患者の「急変」がある。

 急変シーンの表現はさまざまだが、非常によくあるのが、「うめき声をあげて苦しそうに倒れる」である。しかも倒れた瞬間に意識がなくなり、周囲が大騒ぎになる、というパターンが多い。

 ドラマでは、体に急な異常が起こったことを視聴者に分かりやすく伝える必要がある。その際に最も使いやすいのが、この表現なのだろう。

 一方、この種の急変が、現実世界で必ずしも多いわけではない。むしろ、一見すると外観に大きな変化のない「静かな急変」を、現場では数多く経験するからだ。本人に自覚症状が乏しいケースすらある。

 例えば、

「意識ははっきりしていて会話もできるが、血圧や脈拍、呼吸状態などの数字が大きな異常を示している」
「本人は『大丈夫だ』と言っているが、血液検査の値が基準値を大きく逸脱していて、命の危険がある」

 といった事態もまた、医療現場では日常茶飯事なのだ。

 ドラマよりはるかに地味な緊急事態が現場ではよく起こるのである。

 さて、外科系ドラマであれば、「急変」の次は決まって緊急手術である。現在放送中の人気シリーズ「ドクターX~外科医・大門未知子~」(テレビ朝日系)でも、ゲスト出演の重要人物が突然倒れ、駆けつけた大門未知子が即座に手術に持ち込むパターンが多い。

「手術室に運ぶよ!」と告げ、周囲の反対を押し切って手術を行い、見事成功させるのだ。ドラマの世界なら、このようにシンプルなストーリーが望ましいのは当然だ。

プレゼンやネゴシエーションが大事

 一方、こう簡単にはいかないのが現実世界である。緊急手術をするためには、各部署への慎重なネゴシエーションが必要になるからだ。

 例えば、手術前にはまず、正確な診断を行うことが大切である。全身の診察に加え、血液検査やレントゲン、CT、MRIなどさまざまな検査が必要になることが多い。

 だが、たいてい当日の検査の予約枠は埋まっている。そこで、緊急検査を患者さんに受けてもらうためには、検査を行う部署に連絡し、緊急で検査が必要な旨を伝え、予定外の割り込みに頭を下げる必要がある。

 検査を担当するスタッフの定期業務を一時的に中断してもらうことになるためだ。むろん、予約時間に検査が受けられなくなった患者さんへの謝罪が必要になるのは言うまでもない。

 次に重要になるのが、手術室との交渉だ。手術室も、たいてい予定の手術で枠が埋まっている。「その日に手術を受けなければならない患者」は、他にもたくさんいるからだ。

 予定外の手術をねじ込みたいなら、看護師や麻酔科医など手術に関わるスタッフに丁寧に依頼する必要がある。

 また多くの場合、一人で手術はできないため、一緒に手術を参加してくれる他の外科医をリクルートする必要もある。他の外科医たちも、自分の手術を控えていたり、外来業務に勤しんでいたりと大忙しである。

 緊急手術をしたいなら、その手を止めて、自分の仕事に協力してもらわなければならない。この時、手術を行いたい医師は、「今なぜ手術が必要なのか」を上手にプレゼンする必要に迫られる。

「患者のために」という熱い思いだけでは、周囲のスタッフは動いてくれない。誰もが自分の担当する「患者のために」ベストを尽くしているからだ。予定外の仕事を発生させる際に各部署への交渉が必要になるのは、どんな職場でも同じだろう。

 さらに重要なのが、家族への連絡である。ドラマでよく見る急変では、患者自身の意識はないことが多い。こうした場面では特に、急いで家族に連絡し、急変したことを伝え、場合によっては来院をお願いすることになる。

 手術は、リスクを伴う医療行為である。リスクよりメリットの方が大きいことを説明し、手術の必要性について十分な理解を得なければならないのだ。当然、医療者たちの独断で手術を断行することは許されないのである。

 こうした数々のステップを乗り越えて、ようやく緊急手術の準備が整うことになる。

 医療ドラマではたいてい盛大にカットされているが、「緊急手術を行う前」にも重要なドラマが存在する。ぜひ一度、この部分にもスポットを当ててほしいものである。

(※本原稿はダイヤモンド・オンラインのための書き下ろしです)