「サブカルおじさん」の炎上がなくならない根本的な理由とは写真はイメージです Photo:PIXTA

昨年は1月に『映画秘宝』の元編集長が一般の個人に向けてツイッターで恫喝(どうかつ)的な発言を含むダイレクトメール(DM)を送ったことが問題となった。また、小山田圭吾氏は過去のいじめ行為について語った雑誌記事が問題となり、東京オリンピック開会式の楽曲担当を辞任。小林賢太郎氏はホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)をコントのネタにしたことで開閉会式の演出担当を解任されるなど、かつてのサブカルシーンを牽引(けんいん)した2人が炎上の末、降板した。なぜ“サブカルおじさん”は炎上し、たたかれるのか。サブカルチャーに詳しいライターの稲田豊史氏に聞いた。(清談社 沼澤典史)

活字で存在感を誇示した
鬼畜系サブカル

 昨年はサブカル系の中年世代にとって受難の年だったかもしれない。かつてのサブカルシーンを牽引したスターや媒体が続々と炎上し、同じ青春時代を過ごした同志のたたかれっぷりに心穏やかにいられなかった人もいたことだろう。

 同時代を過ごしてきた稲田氏は当時のサブカルシーンについてこう語る。

「宮崎勤事件などもあって、80年代まではアニメなどサブカルを好む文化系の肩身は非常に狭かった。依然として体育会系のイケイケな人たちが教室や社会の中心にいた時代でした。しかし、90年代からアニメやゲームが世界的に評価され始め、サブカルの地位が向上してきました。それにともなって、虐げられていた文化系たちが自信と誇りを持ち、仮想敵であった体育会系に対して“活字”で存在感を示していったのです」

 体育会系のようにフィジカルで物を言わせることができない文化系たちは文字の力で主張や存在感を誇示していったという。そして、彼らをエンパワーしたのが当時の出版業界だ。

「体育会系の“かっこよさ”のひとつであったヤンチャ感を文字で表現していったのが、当時の鬼畜系などと言われるサブカルチャーでした。今までのメディアでは見られなかった露悪的な主張やタブーを恐れない姿勢が気鋭のライターたちによって示され、それが読者に英雄視された。青山正明氏の『危ない薬』(1992年、データハウス)や鶴見済氏の『完全自殺マニュアル』(1993年、太田出版)などは、その中核にあった本ではないでしょうか」