みずほが、不祥事を何度繰り返しても生まれ変われず、金融庁に「言うべきことを言わない、言われたことだけしかしない」と企業文化を酷評されるに至ったのはなぜか。その真相をえぐる本特集『みずほ「言われたことしかしない銀行」の真相』(全41回)の#10では、旧3行が合併して「みずほ」が誕生した直後に発覚した、旧3行間の収入格差にスポットライトを当てる。みずほが20年以上にわたって引きずり続ける「旧行意識」だが、現場行員がそれを感じざるを得なかった一幕をお届けする。

「週刊ダイヤモンド」2002年5月25日号特集「みずほ漂流銀行」を基に再編集。肩書や数値など情報は雑誌掲載時のもの。

「みずほの行員」として初の給料
居酒屋に繰り出し気付いた妙なこと

 決済集中最大のヤマ場を9日後に控えた2002年4月21日。その日は、みずほグループの給料日だった。旧日本興業銀行、第一勧業銀行、富士銀行の行員たちが、初めて「みずほコーポレート銀行」「みずほ銀行」の給料をもらう日だ。

 この日、みずほ銀行の都内支店副支店長のAさん(一勧出身)は、入行年次が1年下のBさん(興銀出身)を誘って、夜も遅い時間に居酒屋に繰り出した。出身行が違うこともあり、Aさんは資格は同じでも一応は上司である自分から声をかけた。

 酒もほどほどに入った後、ふと給料の話になった。Bさんの話に適当に相づちを打っていたAさんは、そのうち妙なことに気づく。どうもBさんのほうが給料が高いらしいのだ。