『独学大全──絶対に「学ぶこと」をあきらめたくない人のための55の技法』著者の読書猿さんが「勉強が続かない」「やる気が出ない」「目標の立て方がわからない」「受験に受かりたい」「英語を学び直したい」……などなど、「具体的な悩み」に回答。今日から役立ち、一生使える方法を紹介していきます。
※質問は、著者の「マシュマロ」宛てにいただいたものを元に、加筆・修正しています。読書猿さんのマシュマロはこちら

「SNSで人を見下してくる人にどう対処すべきか」への理にかなった回答Photo: Adobe Stock

[質問]
 私は無学無教養ですが、Twitterでよく見かける、本を読まない人を下に見たり、変な選民意識を持つ人文系知識人、特に、自分がリバタリアニズムに関心を抱いてるせいか、左翼にあらずんば知識人にあらず(左翼以外は馬鹿)という意識が暗に透けて見える人を見ると無性に見ると腹が立ちます。どうしたらいいですか?

ヒトの仕様を知ると、何をすべきかが見えてきます

[読書猿の回答]
 ブロック機能とミュート機能を活用されることをお勧めします。

 私はリバタリアニズムに詳しくありませんが、「他者の身体や正当に所有された私的財産を侵害しない限り、各人が望む全ての行動は基本的に自由である」という主張を含んだ思想であると理解しています(文献:マリー・ロスバード著、森村進, 森村たまき, 鳥澤円 訳『自由の倫理学 : リバタリアニズムの理論体系』勁草書房, 2003.)。

 また「本を読まない人を下に見ること」「変な選民意識を持つこと」「左翼にあらずんば知識人にあらず(左翼以外は馬鹿)という意識が透けて見える行動をとること」などはいずれも、「他者の身体や正当に所有された私的財産を侵害」するとまでは言えないと思います。リバタリアニズムに照らせば、そうした行動もまた「基本的に自由」であると言わざるを得ないでしょう。

 リバタリアニズムの主張は、その源泉となった自由主義の思想と同様に、単に不快であるという理由で他人の行動に制限を加えるべきでないという原則を導きます。

 しかし不快感のままに他人の行動を制限すべきでないと分かったとしても、私達がそれぞれに感じる不快感じたいをどうすればいいかについては、それらの思想は多くを教えてくれる訳ではありません。

 普段「自由を尊ぶ」と主張しながら、自分が嫌う相手や集団に属する人たちにも自由があることを都合よく無視する人たちは、有名無名問わず枚挙暇がありません。他人の自由を認めることは、我々の「自然」な感情に反する故に、かくも難しいことなのです。

 世界には、SNSというその一部でさえ、あなたが好まないものを大切に思う人たちが存在します。また、あなたが価値をおくものを快く思わない人たちもいるでしょう。

 私達が歴史から(つまり先人が繰り返してきた失敗とその克服から)学び取るべきものがあるとしたら、その一つは、私やあなたにとって不快な人たちを減らすことは基本的に不可能である、という経験則なのかもしれません。

 たとえば敵を攻撃することは、自称「論破」であれ、数の扇動であれ、仲間内で承認を得られることがあったとしても、敵を減らすことには役立ちません。むしろ敵を再生産することに繋がりかねません。

 これは、あなたの嫌いな「人文系知識人」のSNSでの振る舞いとその結果を観察されているのなら、ご理解いただけることだと思います。

 しかしまた、これらの行動は「無意味」ではありません。それどころか、もしも時間で計るなら、「仲間内で認められる」ための、あるいは副次的にでもそうした効果を期待できる行動は、我々の社会生活の大半が捧げられる「重大事」です。

 だからこそ、自由の価値を尊重する人たちでさえ、敵と目された人たちの自由を損なうことになる「攻撃」を、自らの主義主張と矛盾する場合ですら、やめられないのだと言えます(実際は、そうした矛盾を無視するための理屈をあれこれ作り上げることが多いのですが)。

 幸い、ヒトという生き物のそうした傾向は、現在では少なからず知られています。知っておけば、自覚することは難しくとも、他人の行動についてなら、いくらか気づくこともできます。

 もう一歩進めば、そうした傾向を前提に、自分があまりよくない行動をしないよう、環境をデザインすることもできる。冒頭に述べたブロック&ミュートの活用は、ヒトの「今ここ」により強く反応する性質を利用した、環境デザインのひとつです。