越境人材への期待が高まる中で、「私」を中心に始める「これからの越境」デザイン:McCANN MILLENNIALS

今、自分が所属する組織から飛び出していく「越境人材」に大きな注目が集まっている。一方で、送り出す企業側と飛び出す個人、それぞれにモヤモヤとした悩みがあるという。私たちは、これからの「越境経験」にどのように向き合うといいのだろうか。
『大企業ハック大全』刊行に先駆けて2021年10月31日に開催されたONE JAPAN CONFERENCE 2021では、井上英之氏(スタンフォード・ソーシャルイノベーション・レビュー日本版 共同発起人)、小沼大地氏(NPO法人クロスフィールズ 共同創業者・代表理事)、正能茉優氏(株式会社ハピキラFACTORY 代表取締役/パーソルキャリア株式会社)、そして原田未来氏(株式会社ローンディール 代表取締役社長)をパネリストに迎え、塩瀬隆之氏(京都大学 総合博物館 准教授)の進行のもと、「これからの越境」についてディスカッションを行った。(構成/板村成道)

越境をする・させる・研究する、4人のプロフェッショナル

越境人材への期待が高まる中で、「私」を中心に始める「これからの越境」原田未来(はらだ・みらい)
株式会社ローンディール代表取締役社長。2001年、創業期の株式会社ラクーン(現 東証一部上場)に入社、営業部長や新規事業責任者を歴任。2014年、株式会社カカクコムに転職し事業開発担当。人材流動化の選択肢が「転職」しかないことに課題を感じる。サッカーなどスポーツの世界で行われている「レンタル移籍」に着想を得て、「会社を辞めずに外の世界を見る」「企業の新しい人材育成」を目的に6~12か月社外で働く仕組みとして、企業間レンタル移籍プラットフォームを構想。2015年に株式会社ローンディールを設立。「日本的な人材の流動化の創出」をミッションに掲げ、事業に取り組む。

塩瀬隆之氏(以下塩瀬):今回モデレーターを務めさせていただきます、京都大学総合博物館で准教授をしている塩瀬です。私の越境経験をお話ししますと、いくつかセクターを渡っています。1回大学の先生を辞めて、経済産業省で官僚をさせていただいてから、また大学に戻ってきていて。

 多分今日聞いているみなさんは「すぐ渡っちゃおうって思うんだけども、渡っていいのかな」とか、「渡ってしまったけど、ちょっとモヤモヤする」みたいなことを抱えながら、希望を持ってここに集まっているんじゃないでしょうか。ぜひ、その辺の悩みやモヤモヤを共有できたらなと思います。

原田未来氏(以下原田):ローンディールの原田です。「レンタル移籍」という事業をやっています。大企業の方々が半年から1年程の一定期間、ベンチャー企業に出向のような形で行って、事業を立ち上げたり、経営の大変なところを一緒に乗り越えたりしてから大企業に帰ってくるというものです。この事業では、大企業に帰ってきた後に変革を起こしていく人材を育てていくだけでなく、さらにその周りで関わる組織の人たちも巻き込みながらやっています。

正能茉優氏(以下正能):私はハピキラFACTORYという、中身が素敵なのにパッケージがあと一歩という地域のお菓子を可愛くプロデュースして売っていく会社の代表をしています。最近はコンサル的な関わり方も増えてきましたね。

 あとはパーソルキャリアという人材会社で「Salaries(サラリーズ)」という、ジョブごとの報酬水準データを人事向けに提供するビジネスの企画をしたりもしています。今後ジョブ型雇用が進んでいく社会において「この業種・この職種・このグレードの人はマーケットのデータを見る限り、おおよそこれぐらいの価格で処遇するのがフェアですよ」とわかったりする、データを活用したビジネスです。

 他にも慶應義塾大学大学院の特任助教として、学生たちと一緒に長野県小布施町の商材をテーマに、事業を作る、という授業をしたり。いろいろな仕事をパラレルでやっています。

小沼大地氏(以下小沼):NPO法人クロスフィールズの小沼です。ビジネスセクターの方々を、NPOや社会起業家のソーシャルセクターとつなぐ活動をしています。「留職」という形で新興国から国内まで、さまざまなNGOや社会的企業にビジネスパーソンを派遣したり、企業の役職者層の方々を国内外の社会課題の現場にお連れしたりしています。

 自分自身も元青年海外協力隊員で、その後コンサルティング会社で働いたりして、セクターをまたいだ越境を経験してきています。

井上英之氏(以下井上):僕は越境しすぎて、何が何だかわかんない人生なんですけれども、2000年頃から、社会起業という分野の生態系もしくは産業を作りたいと思っていました。社会の課題解決に対してビジネスセクターの経営リソースやノウハウなどを使ってインパクトを出すという分野を作りたかったんです。それで日本初のソーシャルベンチャーのプランコンテストや、「ソーシャルベンチャー・パートナーズ(SVP)東京」という投資団体を立ち上げたりしてきました。

 経歴としては、アメリカの大学院を卒業してから、ワシントンD.C.の市政府で働き、コンサルティング会社というビジネスセクターを経て、ETIC.(エティック)というNPOと一緒に社会起業という分野を立ち上げています。政府・NPO・ビジネスを経験した後に、ソーシャルイノベーション分野の研究や実務に関する一通りの授業群を慶應大学のSFCで作っています。

 最近は「スタンフォード・ソーシャルイノベーション・レビュー」という雑誌の日本版を、2021年の1月末に創刊する準備をしています。ソーシャル、ビジネス、ガバメントのクロスセクターで、それぞれがどうしたら今必要なインパクトを社会に生み出していけるのかということを、実務家向けに共有し、アクションを起こしていこうとする、面白い雑誌なんです。

越境する側とさせる側、それぞれ何を期待しているのか?

越境人材への期待が高まる中で、「私」を中心に始める「これからの越境」正能茉優(しょうのう・まゆ)
ハピキラFACTORY 代表取締役
1991年生まれ、東京都出身。慶應義塾大学在学中、地域の商材をかわいくプロデュースし発信・販売するハピキラFACTORYとしての活動を開始。大学卒業後は、博報堂に就職。その後、ソニーでの商品企画経験を経て、現在はパーソルキャリアで新規サービス「サラリーズ」の企画に携わりながら、自社の経営も行う「パラレルキャリア女子」。最近は、内閣官房「まち・ひと・しごと創生会議」の有識者委員や、慶應義塾大学大学院特任助教としても活動中。他、パーソルキャリア 新規事業企画、慶應義塾大学大学院 特任助教。

塩瀬:ここからはスピーカーのみなさんに質問していこうと思います。自己紹介順にまず原田さん。

 レンタル移籍って、サッカーチームの場合だと、外に出して育ててもらって戻ってきて活躍してもらうタイプのチームと、どんどん外に出していくタイプのチームがありますよね。原田さんがいろいろアクセスしている企業さんって、どんなふうに送り出しているんですか?

原田:基本的に僕らの場合は、企業が人材育成という目的で導入するので、戻ってきてほしいというタイプになってます。ベンチャー企業に行くケースが多いのですが、外からだとすごくキラキラしてる側面ばっかり見えちゃうんですね。でも実際に行ってみると結構大変だったりする部分もあって、「今いる大企業の環境って、実はすごく恵まれてるんだな」みたいなことは結構痛感して帰ってくることも多いかな。

塩瀬:送り出す側は、何を期待しているのでしょう?

原田:組織が成熟してくると、何もないところから何かをやるとか、正解がない中で考えるとかが、難しくなってしまうんですね。そんな「上司や社長に聞けば答えがわかる」という状態からベンチャーに行くと、もう何もわからない、誰も知らないっていう。すると自分で考えて自分で行動することが必要になります。その辺りを身につけてきてほしい、という期待感が大きいですね。

塩瀬:次は正能さんに聞きたいんですけど、このセッションの開始前に話題に上った「私から始まる」というテーマについて、改めて伺えますか?

正能:私はいくつかの仕事をしているので、自分が所属する組織の枠を超えて、またその時々で違う組織の人として、地域や企業と関わることが多いんです。コロナ以前は、組織を移るごとに物理的な移動があったので、小布施にいるときは「慶應の正能」で、他の地域では「ハピキラの正能」、会社にいれば「パーソルキャリアの正能」みたいな感じでした。物理的な場所に自分の存在が依存していたので「越境してる感」というのが実感としてあったんですよ。でも今はオンラインなので、すべてがZoomで完結する。組織の境目を越えている感覚がどんどん薄れています。

 だからこそ、コロナ禍に入ってからは「○○に所属してる正能茉優」じゃなくて「私はやっぱり正能茉優で、その先にいろんな組織とか仕事があるんだな」っていう感覚が湧いてきました。「越境感」が、薄れているのが現在の越境の特徴なのかもしれません。

井上:ほんとそうだよね。私っていう人間が真ん中にあって、興味関心がある。実は自分も「本当に自分がしたいことは何だろう」って、アメリカの大学院時代、いろんな専門の授業やセミナーに潜りまくったことがあります。そして当時生まれつつあった「パブリックマネジメント」という、公共とビジネスを組み合わせた分野の存在に気づいて、それが当時の自分にはあんまりにも熱くて面白くって、学部長に直接交渉して、自分でカリキュラムを書き換えたんです。

 そんなふうに「私という存在の、お腹から出てくるような気持ち」や、「これかな!という体感」から、結果として、体が動いて越境していたということもありますよね。このままじゃいけないといった危機感から、とにかく意図的に「越境」しようと考えて、そうする場合もあるんだろうけれど。

塩瀬越境って、すごく勇気を出して思い切って越えなきゃ、というイメージが強そうな気がするんですよ。でも「私から始められる」を思い出すと、それを支えてくれる。すごくいいなと思いました。