テレビがデジタル化され、インターネットやモバイルが進化し、今世の中には、多様なメディアに多様なコンテンツがあふれている。われわれはそれらエンターテインメントとどのように対峙し、どのように楽しめばよいのか。雑誌「POPEYE」元編集長で、江戸川大学教授の清水一彦氏に、メディアとコンテンツを楽しむ極意を聞いた。

江戸川大学
メディアコミュニケーション学部
マス・コミュニケーション学科
清水一彦教授

一橋大学社会学部卒業。三井物産、朝日新聞社を経て平凡出版(現・マガジンハウス)へ。1999~2001年、男性向けファッション・情報誌「POPEYE」編集長を務める。以後インターネットコンテンツの企画制作やコンテンツビジネスのプロデュースなども手がける。11年4月より現職。

 エンターテインメントのメディアは今、ハード&ソフト面を含めて、すごいスピードで進化、多様化しています。一見すると、惑わされてしまいますが、エンターテインメントを、コンテンツとメディアに分けて考えると、理解しやすくなります。コンテンツが荷台に載っている荷物で、メディアがそれを載せているトラックです。メディアは歴史的に、常に変わってきました。人が背負っていた荷物。車輪の発明によりリヤカーのようなものができ、それを馬に引かせて馬車となり、馬が内燃機関に代わり、さらに電機モーターが最先端の動力源となっています。では、荷物に変化はあったでしょうか?

 先日、大学の授業でカエサルの『ガリア戦記』を使いました。そこに書かれてある、権力や戦力に関する記述は、現在インターネットで見る戦争情報と何ら本質的な差はありません。今も『ガリア戦記』が読まれるのは、メディアが変わっても人が欲しがるコンテンツの本質が変わらないからです。室町時代の『酒呑童子』などの伝奇小説は、今の若い人たちがむさぼるように読んでいるライトノベルの元ネタになっています。室町時代の人も、21世紀の人も、面白いと感じる物語(コンテンツ)は、その物語の構造もしくは文法が同じなのです。人が人である限り、欲望に変わりはないのです。

人の欲望を知りたがるのが
エンタメの本質

 多様化するエンターテインメントと賢く付き合うには、まずメディア=トラックの新しさに惑わされないことです。どんなに新しい車種であっても、トラックの本質はモノを運ぶこと。人にとって大切なのは、トラックではなく、運ばれたモノなのです。

 黄金の麦畑を目指すビジネスパーソンには、人の変わることのない欲を捉えたコンテンツを、言い換えれば、人の世の本質を捉えた古典を楽しんでもらいたいと思います。その古典を、iPhone5で聴くのか、Kindle Paperwhiteで読むのか、Huluで見るのかは二次的なことです。

 そもそもエンターテインメントの価値、存在意義とは何でしょうか? ひと言でいってしまえば、人は人(人の欲望)を知ることが一番の楽しみなのです。井戸端会議や給湯室のゴシップは楽しいものです。その本質は、シェークスピアやドフトエフスキーや紫式部やスピルバーグやバッハやPSY(サイ)と何ら変わりません。

 エンターテインメントの価値、存在意義とは、人という摩訶不思議な存在の本質に一歩でも近づくこと。それもできるだけ楽しく快感を伴うように、です。