唾液はどこから出ているのか?、目の動きをコントロールする不思議な力、人が死ぬ最大の要因、おならはなにでできているか?、「深部感覚」はすごい…。人体の構造は、美しくてよくできている――。外科医けいゆうとして、ブログ累計1000万PV超、Twitter(外科医けいゆう)アカウント9万人超のフォロワーを持つ著者が、人体の知識、医学の偉人の物語、ウイルスや細菌の発見やワクチン開発のエピソード、現代医療にまつわる意外な常識などを紹介し、人体の面白さ、医学の奥深さを伝える『すばらしい人体』が発刊された。坂井建雄氏(解剖学者、順天堂大学教授)「まだまだ人体は謎だらけである。本書は、人体と医学についてのさまざまな知見について、魅力的な話題を提供しながら読者を奥深い世界へと導く」と絶賛されたその内容の一部を紹介します。好評連載のバックナンバーはこちらから。

【外科医が教える】奇抜な発想で画期的な検査を生んだ「天才医師」たちの特徴とは?Photo: Adobe Stock

金属の筒を飲み込んだ大道芸人

 今では当たり前のように受ける検査も、その「生まれ」を探ると興味深い。

 例えば、上部内視鏡検査、通称「胃カメラ」はその代表例だろう。今では胃がん検診にも組み込まれる一般的な検査だが、改めて考えるとアクロバティックである。

 口から長い管を挿入し、胃の中を覗き込むのだ。初めて行った人の勇敢さは計り知れない。

 世界で初めて生きた人間の胃の中を覗き込んだのは、ドイツの医師、アドルフ・クスマウルである。クスマウルは、「クスマウル呼吸」や「クスマウル徴候」など、様々な医学用語にその名を残すほどの偉人だ。

 クスマウルは1868年、ある男性の口に細長い金属の筒を挿入し、胃の中を観察した。むろん、このような「野蛮な」処置を受けられる人はめったにいない。

 そこでクスマウルが選んだのは、剣呑みを得意とする大道芸人である。剣を飲み込むことができるなら、金属の筒などお手のもの、というわけだ。金属の筒が食道をまっすぐ通過し、先端が胃の中に到達した時点でクスマウルは筒を覗き込んだのだろう。見える範囲は狭かったと思われるが、結果的に彼は肉眼で胃の中を覗き込んだ最初の人物になった。

 この後、胃カメラを進化させた最大の発明は、グラスファイバー、すなわち、「光を伝えるガラス繊維」である。1960年代、この技術の進歩により、管が柔軟に曲がり、かつ映像をリアルタイムに表示する胃カメラが生まれることになった。そのおかげで、剣呑みが得意でなくても検査が受けられるようになった、というわけだ。

 一方、下部内視鏡検査、通称「大腸カメラ」も、19世紀末頃から曲がらない筒(硬性鏡)を用いて行われていた。だが、ファイバースコープによる胃カメラが生まれ、これが大腸に応用される形で、胃カメラと同様の進歩を遂げたのである。

あまりにも危険な行為

 カテーテル(医療用の細長い管)の技術もまた、「初めて」を想像すると恐ろしくなる。

 手首などの血管から管を挿入し、これを心臓や脳に進めて行う検査や治療を、私たちは当然のごとく受け入れている。だが改めて考えると、初めて行った人の探究心は凄まじいものだ。

 世界で初めて管を血管内に挿入し、その先端を心臓に到達させたのは、ドイツの医師ヴェルナー・フォルスマンである。1929年のことだ。

 ここに驚くべき事実が二つある。一つは、彼が当時まだ25歳の駆け出し研修医であったこと。そしてもう一つは、管を挿入した相手が自分自身であったことだ。

 フォルスマンは自分の腕の血管からゴム製の管を挿入し、心臓に達したことを証明するため、自身の体をX線撮影したのである。その写真には、腕から心臓までつながる細い管がはっきりと写っていた。現代の医療現場で、カテーテル挿入後の位置確認のために撮影されるX線写真そのものである。

 だが、あまりに危険なこの行為を評価するものはいなかった。もし血管内に細菌が入るなどして感染症を起こせば、命に関わる事態に発展しただろう。また、カテーテルが誤って血管を傷つけたり、突き破ったりすれば大出血である。

 結果的には成功したものの、この一件でフォルスマンは上司の怒りを買い、解雇されることになった。彼の行為が将来、医療現場で不可欠な処置に進化するなど、誰も予想できなかったのだ。

ノーベル賞を受賞

 だが、27年後の1956年、フォルスマンはノーベル医学生理学賞を受賞する。カテーテル検査が広く普及し、その開発者であるフォルスマンが栄誉に値すると考えられたからだ。

 むろん、カテーテル検査の実用化に尽力した二人の医師、ディッキンソン・リチャーズとアンドレ・クールナンも、フォルスマンとともにノーベル賞を受賞している。

 医療技術のルーツを探れば、歴史を変えた挑戦者たちの勇猛さが見えてくる。そこには、天才的なひらめきとともに、リスクを厭わない異端さや、多少の野蛮さもまた浮き彫りになるのだ。

【参考文献】『医学全史 西洋から東洋・日本まで』(坂井建雄著、ちくま新書、二〇二〇)

(※本原稿はダイヤモンド・オンラインのための書き下ろしです)