井深大・東京通信工業(現ソニーグループ)社長
 今回は、単なるインタビュー記事ではなく、東京通信工業(現ソニーグループ)に関するレポート記事をご紹介しよう。「ダイヤモンド」1955年7月21日号に掲載されたもので、筆者はダイヤモンド社の創業者で当時社長の石山賢吉だ。ある日、石山の元に井深大(1908年4月11日~1997年12月19日)が訪ねてくる。当時、井深は47歳。東通工を創業して9年目のことである。ダイヤモンド誌にとっては、これがソニーの初出記事といえる。

 井深は自作の小型ラジオを持参しており、それを見て驚いた石山は、早速工場を見せてほしいと申し出て、昼食もそこそこに井深と共に東京・北品川の本社に向かう。本社に着くと、駐車場に駐められた高級車ダイムラーベンツに驚き、中から「若い者のために、よろしく」と、帝国銀行元頭取の万代順四郎が出てきて、さらに仰天する。万代とソニーの関係については、前回の記事『ソニー初代会長に転身した万代順四郎、銀行一筋時代の回顧』で解説したのでお読みいただきたい。

 石山は、ソニーのことを「知能の会社である」と表現している。「知能をもって製品を作り、時代の先端を進んでいる会社である」と評価し、「無限大の発展をする」とまで言い切っている。井深の訪問当日に、逆に本社見学まで果たした石山は、テープとトランジスタの製造は自社でやりながら、その他は300にも及ぶ下請け工場に出し、徹底的な分業主義を貫く経営方針にも着目している。まさしく、今でいう米アップルもやっている「垂直統合モデルと水平分離モデルの掛け合わせ」といえる。キーテクノロジーはがっしりと自社で握りながら(アップルでいえば、ハードウエアの設計思想、基本ソフト〈OS〉やソフトウエア、コンテンツの供給インフラなど)、それ以外は外注する。そのため、固定資産の回転率が向上するというわけだ。技術以外の強みを早速見つけて記事にしているところが、投資雑誌のダイヤモンドらしいところだ。

 結論として、「会社の素質から見て、面白い投資物であるのは間違いない。最近、株式を公開し、店頭売買を始めたそうである。売上価格は80円である由。この辺の株価ならば、下落の危険度が低く、騰貴度が高かろう。興味ある思惑株である」とのこと。確かに当時、8万円で1000株でも買っておけば、67年後の今、数億円にはなっていただろう。(敬称略)(週刊ダイヤモンド/ダイヤモンド・オンライン元編集長 深澤 献)

秋田県で聞いたゲルマニウムの話
真空管の代わりになるらしい

「ダイヤモンド」1955年7月21日号1955年7月21日号より

「日本のような、第三紀層が多い国には、ゲルマニウムが多くあるとよ」

「ゲルマニウムとは何だい」

「貴い物質なんだよ」

「何に用いるために、貴い物質なんだい」

「さあ、それは……まだ、そこまで聞いてないんだ。だが、貴い物質だということは間違いないんだよ」

「なんにしても、貴い物質が、日本に多くあることは、ありがたいニュースだな」

「ニュースだよ」

 今から3年ばかり前に、私たちはこんな話をした。