一線の人材を輩出する「横浜雙葉」、その学校文化と国際教育10分間の休み時間も有効活用、中庭に飛び出して球技大会の練習をする生徒

活発な学校生活の中にも、節目節目の行事では創立以来の伝統を厳粛にかみしめる。「幼きイエス会」の設立理念に基づく学校文化と、古くから行われてきた国際教育によって、横浜雙葉は、政治家、作家、教育界など、一線で活躍する人材を輩出してきた。近年も、医学部ほか難関大学合格者が多数出ている。(ダイヤモンド社教育情報、撮影/平野晋子)

一線の人材を輩出する「横浜雙葉」、その学校文化と国際教育

木下庸子(きのした・ようこ)
横浜雙葉中学高等学校校長

横浜雙葉中学高等学校校長。横浜市生まれ。横浜雙葉高校、上智大学外国語学部イスパニア語学科卒業。筑波大学大学院地域研究研究科修士課程で中南米の研究を行い、ペルーのリマとクスコの大学に留学。修了後、「カトリック新聞」の記者に。1995年の阪神・淡路大震災の取材を最後に記者職を辞し、母校の社会科教員となる。2022年4月より現職。現在は宗教科を担当。

 

受け継がれる学校文化

――授業の合間の10分間休憩に、生徒さんたちが中庭でバレーボールを始めましたね。

木下 クラス対抗球技大会の練習です。世間では、とてもおとなしい印象を持たれているようですが、実は結構活発な生徒が多いです。フランス式校舎で中庭がありますから、そこでは安心してのびのびと過ごすことができます。

――活発といえば、以前、生徒さんがNGOをつくっていましたね。

木下 文部科学省の「総合的な学習の時間」が始まる以前から、本校独自に特別科目をカリキュラムとして、自分で考える授業を高1から行っていました。総合学習が始まった時は、「関係性の創造」という大きなテーマで、人と人とのつながりや自然との関わり、グローバルな世界との関わりを考え、手づくりでプログラムを組んでいます。

 高2では、中1から高1までの総合の時間を基に、NGO活動と称して、自分たちで世界や日本国内の必要な所への支援活動をしていました。夏休みに国際機関に話を聞きに行ったり、東日本大震災の被災地でのボランティア活動も何年も続けていました。「総合」が「探究」になるまで、活発に活動していました。

一線の人材を輩出する「横浜雙葉」、その学校文化と国際教育[聞き手] 森上展安(もりがみ・のぶやす)
森上教育研究所代表。1953年岡山生まれ。早稲田大学法学部卒。学習塾「ぶQ」の塾長を経て、88年森上教育研究所を設立。40年にわたり中学受験を見つめてきた第一人者。父母向けセミナー「わが子が伸びる親の『技』研究会」を主宰している。

――伝統行事も多いのでしょうね。

木下 運動会で演じる「田毎(たごと)の月」は、1950年から続いています。本校は先の戦争の横浜大空襲で校舎が全壊し、最初の踊りは焼け跡で行いました。

 今年も制服姿の高3生が、高校最後の運動会で丸い円で月を描くように踊ります。コロナ禍の昨年は、クラスの仲間と手をつなぐため白い布手袋をして演じました。いろいろな競技の中でその時だけはシーンと静かになる雰囲気は、私の在学時代と同じだなと思いました。 

 卒業式も本当に厳粛で、一言もしゃべらず、足の踏み出し方も決まっています。生徒に厳しく指導してはいませんが、こうしたことができているのも伝統といえるかもしれません。

――公式の場に出たら自然とふさわしい態度が取れるわけですね。入学者の付属小学校と中学受験の割合はどのくらいですか。

木下 付属小から80人、中学受験で約100人の生徒が入学してきます。仲良くなれるか心配される方もいらっしゃいますが、子どもたちは出身小学校に関係なく友人関係を築いていきますので、大丈夫です。

――女性は仲良くなるのが上手ですから。他の学校では担任が学年団を組むところもありますが、こちらはいかがですか。

木下 毎年クラス替えがあり、担任も毎年変わります。学年担当団も毎年変わるのですが、それが、ひいては、学校全体が一人一人の生徒を見守る家族的な雰囲気につながっているのだと思います。

一線の人材を輩出する「横浜雙葉」、その学校文化と国際教育グラウンドから見た校舎。外観も建物内も白が基調で明るい。左手の建物は体育館