【カジサックが明かす】人気絶頂期に芸能界を失踪した僕が見つけた「心が折れやすい人」の共通点

必死に努力しているつもりが結果につながらない、周りの目を気にしてばかりで自分らしくいられない、人生のどん底をどう乗り越えたらいいのかわからない……。そんな苦しみと闘っている人にぜひ読んでもらいたいのが、7月に刊行された『家族。』だ。
著者は、かつて若手人気ナンバーワンと言われた「キングコング」ボケ担当の梶原雄太。母子家庭で育ち、苦労ばかりの母親に楽をさせたくてデビュー。すぐに脚光を浴び、「はねるのトびら」で活躍するも、人気絶頂期に鬱病で失踪、復活後もひな壇バラエティが主流となったテレビでは結果を出せず、幾度もどん底を味わってきた。
そんな彼が殻を破り、人気YouTuber「カジサック」として活躍するまでの物語をまとめた本著は、梶原初の著書ということもあり、発売後即重版と大きな話題を呼んでいる。「芸人がYouTubeでやっていけるわけない」という冷たい世間の声も跳ね返し、現在は登録者200万人を超える人気YouTuberとなったカジサックは、はたしてどんな思いで言葉を紡いだのか──。
そこで今回は、本書の発売を記念して、全4回の特別インタビューを実施。この記事では、「心が折れる直前の危険信号」について、とことん語ってもらった。(取材・構成/川代紗生、撮影/疋田千里)

睡眠時間は1日2時間半…
人気絶頂期に鬱病で失踪したワケ

――とても面白かったです。本当に、波瀾万丈な人生だなと、まるで一つのドラマみたいだな、と思いながら読んでいました。とくに、お笑い芸人としての道に迷い、一度どん底に落ちて、そこから復活するまでのエピソードには、圧倒されました。

カジサック:そうですね、ご存じの方も多いと思いますが、ボクは、お笑いコンビ・キングコングのボケとして、「はねるのトびら」をはじめとした、たくさんの番組に出演させていただいていました。当時、ボクと相方の西野亮廣は、吉本興業の養成所・NSCでコンビを組んで以来、漫才のコンクールなどで好成績をおさめ、さまざまなオファーをいただいていました。『M-1グランプリ2001』決勝にも芸歴2年ちょっとで進出したということもあり、「エリート芸人」と呼ばれたり、かなり注目されていたんです。同期からは、むちゃくちゃ嫌われてましたね(笑)。

――たしかに、そこまでスピード出世している同期がいたら、嫉妬してしまいそうです。

カジサック:当時は「若手の芸人を育ててバラエティを盛り上げよう!」というムードが強かったのも追い風で、キングコングはとんとん拍子に売れていきました。

でもボクは、「お笑いで天下取る準備はできたな」と豪語する西野とは対照的に、内心、不安でいっぱいでした。経験のなさ、実力のなさを理解していた。自信もなかったし、ビビりまくってたんですよね。徐々に距離ができ、売れれば売れるほどギクシャクしていきました。1日のまとまった睡眠時間も、東京―大阪間を移動する新幹線に乗っている間の2時間半程度。どうしようもなく疲れているはずなのに、目を閉じても仕事の夢ばかり見てしまう……。

【カジサックが明かす】人気絶頂期に芸能界を失踪した僕が見つけた「心が折れやすい人」の共通点

――たったの2時間半では、疲れも取れないですよね。

カジサック:精神的にも体力的にも限界を超えていると、物事を冷静に判断できなくなるんですよね。西野は「いやいや、俺らが置かれてる立場って、どれだけありがたいことかわかってんのか? ここで結果残さんとあかんやろ!」と励ましてくれていたけれど、ボクは「どうせみんな、陰で俺を悪く言ってるんだろう」と疑心暗鬼になってしまって。実力不足だという気持ちが強すぎるばかりに、テレビに出ても周りを気にしてばかりで、満足のいく動きもできなかった。「最低の芸人だ」という自己評価ばかりが、どんどん強くなっていく。

――本にも書かれていましたが、そんな時期に、心身症を患い、休業されたんですよね。

カジサック:ええ、2003年の頃ですね。いまでもまったく思い出せないのですが、仕事を全部ぶっちぎって、気がついたら、大阪のカラオケボックスにいました。3日間行方しれずになっていたらしいのですが、そのあいだの記憶はまったくないんです。

その後、病院に行き「心身症」と診断され、2ヵ月半、お休みをいただきました。オカンや先輩、相方の西野をはじめとしたさまざまな人に迷惑をかけ、支えてもらい、ようやく病気が治って、また復帰できることになったんです。あのときは、引退しようかどうか、本気で悩んでいましたね。