1年間、家もオフィスも持たない生活実験型プロジェクト「ノマド・トーキョー」を行った米田智彦さん。東京中のシェアハウスやシェアオフィスを渡り歩くうちに、今、同時多発的に生まれている、自己流に働き方や生き方をアレンジする「ライフデザイナー」たちと出会うようになった。彼らのライフデザインから見える、不確実な時代を柔軟に生き抜くヒントとは何か?

固定的なキャリアプランは無意味だ

 今までの「キャリアプラン」の前提となるゴールは、そのプランを練る時点での社会的成功をモデルにしてきたといえます。しかし、その社会状況、経済状況に最適化したゴールというのは、変化が激しく、未来が予想できない現在では必ずしも成功のモデルとはなりません。

 これは重厚長大なプランを立てて予算を取ったものの、完成する頃には役に立たない公共事業のようなものです。そして、そこまでの道のりというのは直線ではないということです。誰にも予想もできない曲がりくねった道であり、突然、道に動物が飛び出してきたり、落石があったり、橋が落ちていたり、アクシデント、迂回、やり直し、試行錯誤の連続です。

 予測不可能な時代を航海していくためには、目的地をイメージして、そこまでは悪天候に襲われることを前提にした方が合理的ではないかと思うのです。

 ビジネスにおいては特に顕著で、長期のプランを描いても、時代の流れが速すぎてその通りになってはくれないのがほとんどです。技術もマーケットもユーザーやファン、顧客の心理も刻々と変わっていきます。また、固定化された計画はアクシデントがあると、より危険なものになります。「みんなで話し合って決めて予算を組んだのだから、やらなければいけないのだ」という拘束によって、どれだけ現在の状況に合わないものが世の中にリリースされてきたでしょうか。

 これは公共事業やビジネスのプロジェクトの話だけでなく、キャリアや人生設計に対しても同じことが言えるはずです。希望の会社に入れなかった、予定通りに出世できなかった、今の仕事がやりたいことと違った……など、当初のプランとは異なる出来事はいくらでも起きます。

 その時に、何が何でもやらなければダメだとか、人生とはあきらめの連続なのだと自分を無理矢理納得させることしか僕らにはできないのでしょうか……。

 硬直した計画というのは、軽やかなライフデザインとは真逆に位置します。それは、「臨機応変」という言葉を潜在意識から排除してしまい、ふいに訪れたチャンスや他の可能性をつぶすことすらあります。確かに目標はイメージとしてしっかり握っておくべきです。しかし、長期の到達点というのは、あくまでも短期計画の積み上げでしかないと考えておいた方が現実的であり、精神衛生上、健康でいられます。

 僕らの人生は、神殿や巨大モニュメント、第三セクターの高速道路やダムではありません。これまでの職業や人生のプランはいわば事業計画書に基づいて、「向こう側」に大きな「橋」を架けるようなものだったのかもしれません。

 しかし、その計画書が承認され実行され、建設に数十年かかって完成する頃には、まったく時代とはそぐわない無用の長物ができ上がってしまう可能性があるのです。1年後も10年後も、僕らはリアルに想像すらできないのが現実なのですから。

 ちなみに、僕がなりたかった雑誌の編集者という仕事も出版不況の中、雑誌そのものが激減してしまいました。独立した頃、フリーライターとして『エスクァイア日本版』と『スタジオ・ボイス』という二つの雑誌の巻頭特集を手掛けることを目標にしましたが、フリーになったとたん、その二誌は休刊してしまいました。まったくもって、逆算の未来予測は当てにならないのです。