四川大地震から1ヵ月、日本人の間でそろそろ話題性も薄れつつあるが、この地震はある副産物をもたらした。「中国では寄付金の多寡が人物を決め、社運を決める」というものだ。

 5月12日14時28分、四川省で地震が起こってからまもなく中国では一斉に募金運動が始まった。

 企業単位、学校単位、そして町内単位で、募金運動はほぼ100%に近い参加で行われた。「市」は「区」を管理し、区はその下に枝分かれする「街道(ジエダオ、町内の意)」を、街道はさらにその下に広がる居民委員会を、そして居民委員会は「小区(シャオチュー、団地からなるコミュニティに相当)」を管理しているのだが、今回の募金も、このように日ごろから市民管理に使われるネットワークを使って見事に吸い上げられた。

生活に苦しむ貧困層でも
50元程度は当たり前

 上海市の西、虹橋空港にほど近いある小区は世帯人口約500人、ほとんどの人が寄付をし、1日にして1万元(1元=約15円、約15万円)近くの金額を集めた。

 「私は門のところに置かれた募金箱に100元を入れた。箱の脇に人が立って見ているから、はした金を入れるわけには…」と話すのは今年57歳になる主婦・周さん(仮名)だ。100元といえばひとりのほぼ3日分の食費に相当する。

 彼女が住んでいるアパートは6年ほど前に購入した築13年もので、政府払い下げの質素な住まいである。彼女自身、息子が成人するまでは切り詰めた生活で、セーター1枚すら買えなかった時代もあった。このアパートでは寝たきりの病人も200元を募金。毎月1500元程度の年金で生活する老人が200元を拠出するのは近所の美談となった。

 門の前には募金箱と一緒に「紅板」という文字通り赤いボードが置かれ、「○○さん、○百元」と書き込まれる(日本でも町内の祭りで似たようなものを見る)。恐らくこの団地の住人の月の世帯収入は、普通の家庭で3000元程度がせいぜいと言うところだが、500元、200元を寄付する人も出現した。この「紅板」は「どんな貧困層でも50元は当たり前」と無言で語り、庶民は物価高の苦しいさなかをなけなしの財布からひねり出した。