ポスト資本主義社会
ダイヤモンド社刊2000円(税別)

 「知識社会は、人文主義者が求める理想像とは異なる教育ある者を必要とする。人文主義者は、偉大な伝統すなわち人類の知恵、美、知識を否定することの愚かさを説くうえでは正しい。だが、過去の継承では十分でない。現実を動かさなければならない」(『ポスト資本主義社会』)

 知識社会では、従来の理想像とは異なる教育ある者が社会のモデルとなる。

 ノーベル賞作家ヘルマン・ヘッセは、人文主義者の求める世界の行く末を予告した。『ガラス玉演戯』の主人公は、下品で汚れた世界へ戻ることを決意する。現実の世界にかかわりを持たなければ、自らが手にする何ものも価値を持ちえなかった。

 ドラッカーは、ヘッセの危惧が現実になりつつあるという。教養が危機に瀕している。それらは、聡明な人たちが下品な現実のために捨てるガラス玉遊戯と化しつつあるからである。

 知識社会が必要とする教育ある者とは、最先端の専門知識とともにマネジメント能力を持ち、かつ宗教、哲学、芸術を理解する者である。考えるとともに見る者、頭とともに体を使う者、体系化するとともに創造する者である。

 「明日の教育ある者は、グローバルな世界に生きる。同時に部族化しつつある世界に生きる。ビジョン、視野、情報において世界市民でありながら、自らの地域社会から栄養を吸い取るとともに、栄養を与える存在である」(『ポスト資本主義社会』)