耳目を集める国家安全保障体制議論
戦後の安保体制に見る3つのフェーズ

 国家安全保障会議の創設や国家安全保障戦略策定、さらには集団的自衛権の憲法解釈変更などの動きが、耳目を集めている。

 国家安全保障体制は国の姿を変えるものであるだけに、国民の間での幅広い議論が必要である。そのためにも、日本の安全保障の考え方がどのように変化してきたのかを知った上で、今後の考え方を整理する必要がある。

 日本の戦後の安全保障政策を巡る議論は、3つの大きなフェーズに分けることができるだろう。第一のフェーズは、戦後復興期の再軍備を巡る議論である。戦後平和憲法が制定されたが、戦後の世界は朝鮮戦争の勃発やソ連との冷戦の開始が示すように、憲法9条が前提とした平和な世界ではなかった。

 そのような国際環境を前に、米国の選択はできるだけ早急に日本の復興を実現し、「西側に組み込む」ことであり、当時の首相・吉田茂の行った日本の選択は、軽武装に徹し米国に安全保障を依存し、経済再建を実現することであった。

 この選択は見事に成功し、日本はわずか23年で世界第二位のGDP規模を持つ国となった。

 安保政策を巡る第二のフェーズは、日米両国における日米安保体制の信頼性を巡る議論である。1970年代、80年代の日本の安全保障議論は、ほぼ日米同盟関係のマネジメント論であった。

 日本の経済繁栄を前に、米国内では議会を中心に「安保ただ乗り論」が勢いを増す。すなわち、日本は自国の安全保障について十分な負担をせず、米国に依存し、資金をもっぱら経済に回しているのは無責任ではないか、という議論である。

 日本においては、果たして米国は本当に日本防衛にあたるのか、日本は米国の世界戦略に利用されているだけではないか、という議論である。