つぶれかけた山口県岩国市の小さな酒蔵を建て直し、純米大吟醸<獺祭>を世界20ヵ国で展開するまでに育て上げた、旭酒造社長の桜井博志さん。著書『逆境経営』の出版を記念し、『キュレーションの時代 』(筑摩書房、2011年)などの著書で知られ、近く“食”に関する新刊『家めしこそ、最高のごちそうである。』(マガジンハウス)を発売するジャーナリストの佐々木俊尚さんと、食や日本酒、それを取り巻く環境変化について縦横無尽に語り合ってもらいました。

日本酒を飲むと健康になる?!
秘密は、味の相性にあり

佐々木 5年ほど前に勧められて断食を経験し、身体や神経が研ぎ澄まされるのを感じて以来、家で食事をつくるときはシンプルな素材で薄めに味付けるよう心がけているんです。すると、これはお世辞でなく(笑)日本酒の美味しさがよくわかるようになりました。

桜井 いや、本当にそうなんです。逆説的な意味で、私たちは「日本酒を飲んでいると、健康になります」と申し上げてきました(笑)。濃い味付けの食事は食べにくくなりますから。

佐々木 実は、近年の日本で、家庭の食事が貧しくなってきていることに危機感を感じています。外食の美食化がどんどん進む一方、家で食べる“ごはん”はコンビニの弁当や惣菜で済ませて平気、というのはおかしい。食への価値観が大きく変わったバブル期を含めて、戦後日本の食の文化史をひも解きながら、そうした問題意識をまとめた本を近々発売(詳細は対談末尾に掲載)します。

桜井 確かに、日本人の食生活は変わってきましたね。出張に出かけて気づくのは、台湾や香港などで、家で料理を作っている様子がほとんど見られないことです。もともと、庶民は屋台で済ませるし、お金持ちはお抱えの料理人任せとか。対して、日本は家庭料理がきちんと存在する国だったはずですね。

日本酒という文化を自問しながら<br /><獺祭>は新時代の賭場口に立っている佐々木俊尚(ささき・としなお) 作家・ジャーナリスト。 1961年兵庫県生まれ。愛知県立岡崎高校卒、早稲田大政経学部政治学科中退。毎日新聞社、月刊アスキー編集部を経て2003年に独立し、IT・メディア分野を中心に取材・執筆している。『レイヤー化する世界』(NHK出版新書)、『『当事者』の時代』(光文社新書)、『キュレーションの時代』(ちくま新書)、『電子書籍の衝撃』(ディスカヴァー21)など著書多数。総務省情報通信白書編集委員。

佐々木 米国でも、1970年代頃までは家庭料理が存在したそうです。格差が拡大しで共働きが当たり前となり、専業主婦がいなくなった結果、家庭料理が廃れていったようです。日本も同じような流れに引きずられている気がします。夫婦で働かなければ生計が成り立たないし、時間に追われる毎日だから、どうしても弁当や半調理品、“鍋の素”のような調味料に頼らざるを得なくなる。そうすると、栄養が偏りがちで、決して健康的とは言えません。

桜井 コンビニやスーパーなどで販売される惣菜類の台頭は、私たち日本酒業界にとっても脅威です。味が濃くて甘辛いものが多く、日本酒には合いづらいですから。

佐々木 確かにそうですね。味が濃い料理と合わせる場合は、アルコール類なら焼酎やビール、そうでなければ白飯を食べるか…。

桜井 甘辛い味付けが多いといえば、焼酎王国の九州が思い浮かびますが、実はかの地も昔は日本酒が全盛だったんです。明治時代の日本酒出荷額をみると、福岡県は全国第3位だったほどです。最も知られている麦焼酎のひとつ「いいちこ」の製造元である三和酒類も、「和香牡丹」などを手がける4つの蔵元が合併してできた会社と聞きます。全国的に見ても、焼酎ブームはこの40年程のことでしょう。