ITベンチャーでの活躍から、障害者の就労支援という福祉の分野へ飛び込んだ長谷川敦弥社長。24歳のときに、入社1年3ヵ月という異例のスピードで社長に就任し、赤字企業を瞬く間に軌道に乗せた。わずか6年で社員数100名から800名を超す企業へと成長。活動のフィールドを障害者支援から子どもの教育へと広げている。ソーシャルビジネスという新しい分野での活躍に注目が集まる若き経営者に、「障害」に対する考え方とこれからの教育について話を聞いた。(取材・文/黒坂真由子)

名古屋大学時代、インターンで5000万円を売り上げた

―――インターンで入社したIT企業で年間売り上げ5000万円という数字をたたき出した後、突如、福祉の世界へ移られました。まったく違う分野のように思われますが、なぜそのような選択をされたのですか?

 ITにも福祉にも、もともと興味があったというわけではないんです。ITの会社には、大学生時代、インターンとして関わっていました。自分の目標はひとえに「日本を変える、世界を変える」ということにあったんです。

 そのための力を学生時代につけるにはどこがいいのかを考えた結果、ITベンチャーにたどり着きました。当時、一番志や情熱を持った学生が集まっているのが、このIT企業だったからです。自由にやらせてもらえる環境もありました。ITに苦手意識があったので、あえて飛び込んでみた、ということもあります。

 ここで、社会のこと、世界の動き、経済の仕組み、政治の世界など、ITという窓を通して見える世界を学びました。学生という身分でしたので、企業人の枠を超えて自由に活動をしました。いろいろな人に会って、よく分からない提案をしたりして(笑)。

 政治家にも話を聞いたり、自分の考えを提案したりしましたよ。そうやって商売に関係ないこともいっぱいやってみました。

 そもそも、そういうふうに世界や社会の動きを知ることが、僕が東京に出てきた目的だったからです。岐阜県多治見市笠原町という人口1万人の小さな町で育った自分が、どの位の力があり、どのような道を開いていけるのか。これからの道を学生のうちに定めたいと思っていたんです。

 とはいえ、「世界を変える」と決心して東京に出るまでには、時間がかかりました。名古屋大学に入学をしてすぐ焼肉屋でバイトを始めたのですが、そのオーナーに影響を受けたのです。

障害は、人ではなく「社会の側」にある。<br />新しい視点で福祉の世界を大胆に変革する! (前編)長谷川敦弥(はせがわ あつみ) 1985年生まれ、岐阜県出身。名古屋大学理学部卒業。大学を休学し、ITベンチャー企業にて3年間インターンシップを経験。卒業後、2008年に障害者支援企業のウイングルに入社。入社後わずか1年3ヵ月、24歳で代表取締役社長に就任する。「障害のない社会をつくる」というビジョンを掲げ「多様な教育機会と社会での活躍」というワンストップサービスを提供し、福祉、教育分野に変革を起こしている。「世界を変え、社員を幸せに」が理念。尊敬する人物は坂本龍馬、孫正義。

自分を肯定し、
信じてくれたバイト先のオーナー

―――焼肉屋でのバイト経験が、上京につながったと聞きました。

 そうなんです。焼肉屋でバイトをしなかったら今の僕はなかったかもしれません。そこのオーナーがなぜか、やたらと僕の可能性を信じてくれてたんです。自分の親よりもです(笑)。僕は将来、日本を、世界を変える人材だから、って言うんです。「アツミ君はここにとどまらずに東京かニューヨークに行きなさい」と(笑)。僕はそれまで、そんなことを思ったこともなかった。親にだってもちろん言われたことはありません。

 僕の育った小さな町では、先生からも生徒からも好かれる優等生タイプが、社会で成功するとされていました。僕は、ルールを守ることも、まじめにこつこつやることも苦手でした。「それが常識だから」と言われても、「もっとこうしたほうがいいのに」と思ってしまう。「こうすればいい」と先生に提案するほど嫌われて、友達からも「あっちゃん、もういいから授業の邪魔しないで」とか…。クリエイティブになればなるだけ、ネガティブな評価しかされない。だから次第に、意見をしない、行動しないように気をつけるようになっていきました。

 ところが焼肉屋で実際に働きだすと、オーナーにやたらと褒められるわけです。アツミ君はすごい、アイデアがあるし、気配りできる。人に好かれるよとか。そして最終的には、「君には世界を変える力があるかもしれない」って期待をかけてくれました。
 そんなことを1年も言われ続けると、自分なりのアイデアを言ってもいいんだ、行動していいんだと思えるようになっていったのです。

 焼肉屋の仕事も、それからは自分の好きなようにやっていきました。例えば、いいアルバイトの人を見つけるために、チラシをつくって電車の中でばっと配ったり。あとは飛び込み営業。団体客を集客することが平日の利益率を上げるポイントということが分かったので、チラシをつくって、「焼肉屋です!」といろんなオフィスのドアをたたいて回った。とにかく何でも試してみました。

人生のすべてを懸けられることを見つけたい

 同時に何か人生をかけることをしたい、熱中できることをしたいと思って、焼肉店のオーナーのアドバイスに従って、東京にも出るようになりました。ただ、本当に手探り状態で。
 地元に「起業家求む」というチラシがあったので行ってみたら、やたら大人達がちやほや接してくれるんですね。で、もらった資料をよくよく見てみると「1000万円必要です」と書いてありフランチャイズのオーナー募集イベントだった(笑)なんてこともありました。ああ、バス代損したなあとか。

 また、『金持ち父さん 貧乏父さん』の本に影響を受けて、イベントに参加しに下北沢に行ったこともあります。経営に興味ある人に出会えるかもしれないと期待していましたが、それは単なる不動産の人生ゲーム大会で、またしてもなんか違うなあと。

 ほかにも、多くの経営者や大学の先生にも直接会いに行きました。学生って会ってもらいやすいんです。後をつけて、タクシーに強引に乗り込んだり…。もちろん、追い出されましたけど(笑)。

 会いに行って、彼らに質問をしたんです。日本や世界をどう変えていくべきか、資本主義の問題はどう考えるとか、世界の理想とはどんな世界なのかとか。有名で活躍されている方たちがどう考えているのかを知りたかった。でも、あまり自分にビビっとくるような答えが得られなかったんです。