豊川市議会の異端議員が調べる
公営選挙の知られざる実態

「印刷業者さんから『公営選挙なので、名刺も一緒につくりませんか。皆さん、やられてますよ』と持ちかけられました。驚いて『そんなことはおかしいですよ』とお断わりしましたら、その業者さん『今の話は忘れてください』の一言でした。この体験がきっかけとなり、公営選挙の実態を色々調べるようになったんです」

 こう打ち明けるのは、愛知県豊川市の倉橋英樹市議だ。35歳で、現在1期目の若手議員である。

 議員29人の豊川市議会(定数30)は、4つの会派と会派に所属していない1人の議員で構成される。その1人というのが倉橋市議で、豊川市議会の異端児とでも言うべき存在だ。経歴や議員になった経緯、議員としての仕事ぶりも極めて異色である。

 チンチン電車の運転士だった倉橋さんは28歳のときに、地元・御津町の議員となった。鉄道会社を辞めて選挙に打って出るきっかけとなったのが、豊川市との合併を住民の意向を尊重せずに進めていった当時の御津町議会の動きだった。

 住民の7割近い反対により立ち消えとなった合併構想が再浮上し、倉橋さんらは住民投票の実施を求める署名集めに乗り出した。規定を上回る署名が集まり、合併の是非を問うための住民投票条例案は、議会に直接請求された。

 ところが、議会は条例案を賛成3、反対11という大差であっさりと否決してしまったのである。

 そればかりか、反対派議員から「合併の是非は議員が判断すべきものだ。町民は正しい判断ができない可能性がある」といった意見まで飛び出た。倉橋さんは「それならば、議員も正しく選ばれていないことになるだろう!」と怒りに震えた。そして、「もう黙っていられない。ここで文句も言わずに何も行動しないでいたら、将来、絶対に後悔する」と思い、町議選への出馬を決意したのである。

 こうして御津町議になったものの、町が豊川市に編入合併されたことに伴い、わずか9ヵ月で失職となる。豊川市の増員市議選に出馬したが、地元や団体・組織の支援なしの「無党派候補」であえなく落選。その後、派遣社員や深夜アルバイトなどで糊口をしのぎ、4年後に再挑戦して豊川市議となった。