同じ遺伝子を有し、自然界のクローンとも言われる「双子」。だが、これまでに出会った双子を思い返してみると、不思議なことに気づかないだろうか?
「果たして双子は、『クローン』と呼べるほど『同じ』なんだろうか?」
体重差が27キロある双子、一方だけが乳癌になった双子、ゲイとストレートの双子……。本連載に登場する、「同じ遺伝子を持ちながらまったく違う双子」は、遺伝子だけでは説明できない「何か」の存在を教えてくれる。
このような、遺伝子によらない遺伝の仕組みが、いまや生物学・遺伝学だけではなく、長寿や健康、ガン治療などの観点からも注目を集めている「エピジェネティクス」だ。『双子の遺伝子』が日本でも発売された遺伝疫学の権威が、「同じなのに違う」双子の数奇な運命を通して、遺伝学の最前線を紹介する連載第1回。

イランで生まれた双子の女の子
ラレとラダンの物語

 手術は何ヵ月もかけて周到に準備されたが、いざ始まると、予定通りには進まなかった。何時間も立ちっぱなしで複雑な脳血管を扱ってきた医師やスタッフは、疲れを見せはじめた。傷ついた動脈から血が勢いよく噴きだし、執刀医の眼鏡のレンズに飛びちる。血は他からも流れでていたが、どこが傷ついているのかもわからない。それとおぼしき血管の止血を試みたが、無駄だった。むきだしになった脳の後方は見るまに血に覆われ、血管と灰白質の区別もつかなくなっていった。

「血圧が下がっています」と麻酔科医が告げた。

「まずいな」。リーダーを務めるキース・ゴー医師は暗い声でそう言うと、チームに指示を出した。

「残りをすぐ輸血して、追加の血液を持ってくるんだ。もう一度、硬膜を縫合して、様子を見よう。それしかない」

 その29年前、この手術室から数千キロ離れた土地で、女の一卵性双生児の命が母親の胎内に宿った。ある月のしかるべき日に、23本の染色体を持つ、父親の数十億個の精子のひとつが、やはり23本の染色体を持つ、母親が生涯に排卵する約400個の卵子のひとつと出会い、受精に至ったのだ。数日後、何回かの細胞分裂を経た受精卵が、急にふたつに分かれ、遺伝的にまったく同じ胚が、2個できた。この2個の胚は隣りあって育ち、9ヵ月の時を経て、ふたりの赤ん坊になった。

 1月の寒い日、革命を前にして紛争に明け暮れるイラン南西部のフィルザバードで、この双子は産声を上げた。両親は貧しい農民で、家にはすでに9人の子どもがいた。事情があって、双子はそのまま病院で過ごし、やがて心優しい医師に養子として引きとられた。

ラレラダン、と名付けられたこのふたりの女の子は、食べるのも、遊ぶのも、寝るのも一緒で、互いと離れることはなかった。遺伝子と環境はまったく同じだったが、明らかな違いが見られた。ラレはコンピュータ・ゲームが好きだったが、ラダンは動物が好きで、信心深く、騒々しいゲームが大嫌いだった。成長するにつれ、どちらも買い物を楽しむようになり、特に化粧品を好んで買った。ラレは右利き、ラダンは左利きだった。どちらも学校の成績はよかったが、試験中に小声で答えを教えあうこともあった。

 ずっと一緒に学ぶことを望んでいたが、やがてラダンはテヘランで弁護士に、ラレはシラーズでジャーナリストになりたいと思うようになった。さんざん言い争った末に、結局、ラダンの希望に沿って、ふたりともテヘランで法律を学ぶことになった。ラダンがおしゃべりで外向的で、ラレが内向的だということは、どちらもが認めていた。

 ラレとラダンのこのような性格の違いを、どう説明すればいいだろう。彼女らは遺伝的には同一のクローンで、まったく同じDNA構造を持ち、体内にある100兆個の細胞のひとつひとつに含まれる2万5000個の遺伝子も同じだ。同じ母親の母乳を飲み、同じ養父に育てられた。毎日一緒に過ごし、同じ学校、大学に通った。友人も食べ物も一緒だった。

 またふたりは、特別な結びつきを持っていた。彼女らは文字通り、互いと離れることができなかった。頭部がつながった結合双生児だったのだ。