小さい頃から、三味の音を聴いて暮らしてきた。と言うと粋に聞こえるが、山形県酒田市の実家の隣に、三味線の師匠が住んでいて、ほぼ毎日、稽古の音が響いていたのである。かつては、酒田一の芸者と言われたその人は杵屋勝寿恵と名乗り、通って来る弟子に厳しく稽古をつけていた。

 わが家では“三味線のおばちゃん”と呼んでいたが、子供のいないその人は、私を可愛がり、小学生の頃は、よく銭湯などに連れて行ってくれたらしい。

 そのおばちゃんの師匠が杵屋勝東治。つまり、勝新太郎の父親である。

芸能一家の次男
大酒豪の暴れん坊

 勝はこの父親が大好きで、「俺が子供の頃、尊敬する人物を言えば、一がお父ちゃんで、二は天皇陛下だった。それぐらい、お父ちゃんに惚れてるし、ファンなんだ」と言っていた。

 師匠の勝東治より、弟子の勝寿恵の方が、亡くなるのが数年早かったが、彼女は生前、『酒田かわら版』という地元のタウン紙に、師匠の家のことをこう語っている。

「奥さんは西川流の名取りで、芸能一家です。ご存知かもしれませんが、長男が若山富三郎、次男が勝新太郎で、長男が長唄の若山派、次男が勝派なので、そうした名前がついているわけです。中でも新太郎さんは大酒豪の暴れん坊で通っておりますが、父上は一滴も酒を召し上がらず、酒田に来ればまずダンゴ、豆あげ、それに蕎麦を所望なさいます。若山、勝さんは18、19歳頃に藤間好さんの温習会の時に父上と一緒に参られ、『戻橋』を踊ったことがあります。その時大分変な酒田弁をおぼえて帰られたようです」

総理大臣の代わりはあっても
勝新太郎の代わりはない

 こういう縁があって、私は勝新太郎に一方的に好意を持ってきた。

 いつか会って、“酒田のおばちゃん”の話をしたいと思っている時に『文藝春秋』で始まったのが、三國連太郎や森繁久弥との対談だった。ビートたけしとのそれもあったが、『泥水のみのみ浮き沈み』(文藝春秋)にまとめられた連載の“千秋楽”が夫人の中村玉緒との対談。絶妙のヤリトリで「爆笑」の連続である。

玉緒 すんまへん、遅れてしもうて……。
  そっちへ座って。
玉緒 こっちへ座るんですか。いつも横に並びますねん。向かい合って座るなんて、なんやケッタイやな。
  横に座った方が話しやすいかい?
玉緒 どっちにしても話しにくうおすがな。なんやケッタイやな。

「離婚を考えるヒマもない」という題の対談はこうして始まり、銀座のクラブに移動して、玉緒が映画で歌う『座頭市』の練習をする場面に続く。もちろん、クラブの客はいる。