また、グローバルか。他に言うことはないのか。そんな「グローバル」の大合唱の中、40年以上前にとっくに世界に旅立っていた男の痛快な物語――『お客さんの笑顔が、僕のすべて!――世界でもっとも有名な日本人オーナーシェフ、NOBUの情熱と哲学』を、評論家・コラムニストの常見陽平氏が書評する。

「グローバル」の大合唱の中でとっくに世界に旅立っていた男の物語

 また、グローバルか。他に言うことはないのか。そもそも、それってどういうことなんだ。そんなことを言いたくなる今日このごろだ。

 時代は「グローバル」の大合唱だ。企業はグローバル展開を推進しているし、大学にとってはグローバル人材育成が生き残りの鍵だとされている。

 しかし、ふと考えることがある。その世界進出、グローバル展開に何の意味があるのか。世界を目指すのか、目指さざるを得ないのか。一庶民として大変に気になっていることである。

 グローバル化なるものにも段階があると思う。最近の状況に関して言うならば、グローバル化は「目指す」ものではなく「せざるを得ない」状況だと解釈している。国内市場が飽和している、国外の市場が拡大している、グローバル企業が台頭している、国境を超えて生産や流通を行う状態になっている、国境を超えた業界の再編成が進む……。

 海外展開をスピードアップするために、有効な手段と言えば、M&Aである。思えば、円高だった2000年代後半から2010年代前半にはたくさんのM&Aが行われた。これは円安となった今でも続いている。M&Aという手段が有効であることは否定しないが、この決断は、ややもすると魂のない、ビジネスライクな議論になりがちだ。シェアをとるために「買わざる得ない」、他社に買収されるリスクを考えると「買わざるを得ない」、などの議論である。いつの間にか、夢も希望もないグローバル展開が進んでいく。いや、ビジネスとはそういうものなのだが。

 愉快、痛快な世界進出なるものはあるのだろうか、と。私は世界を目指さざるを得ない人よりも、世界を目指す人が好きだ。