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兵庫県が目指した「創造的復興」
の意義とは何だったのか?

 では、兵庫県が目指した「創造的復興」の意義とは何だったのか。「創造的復興」は、国が長期的に財源を保障し県に大幅な権限と財源を移譲、県が被災市町の意見を聴いて10年間の復興計画を立てることであった。「被災地の復興など地域経済の活性化のためには、国内外からの投資や企業の誘致を促進することが不可欠であり、規制緩和や税の優遇措置など他の地域との差別化が必要として、エンタープライズ・ゾーン(EZ)など規制緩和で計画を支えることであった。

 EZとは、特定の地区で大幅な規制緩和を行い、企業が利益を上げやすい環境をつくり、内外の投資を呼び込む政策である。当時の兵庫県知事・貝原俊民氏は、これらの内容を盛り込んだ「阪神・淡路震災復興特別措置法案」が認められなかったことが、「創造的復興」が挫折した根本的原因であると言う(注8)

「EZ構想とは、1980年代のイギリスのドッグランド地域で規制緩和と税の軽減措置等により地域再生を支援した手法を参考に提案されたものである。震災以降、被災地の産業復興と新しい産業構造の構築を目指して、ポートアイランドII期地区において『税の優遇措置』や『規制緩和』等を進め、新たな産業と生活文化を先導する『世界に開かれた交流拠点』の形成を図ろうとした構想であるが、『一国二制度』につながるとして国の理解が得られなかった」(注9)

 貝原氏が目指した「創造的復興」の背景には、「官主導の成長社会から、民と地方が主役の成熟社会の到来」という認識があった(注10)。だがこの場合の「民」とは、被災者や被災中小零細企業、自営業者などではなく、EZでの外資系の大型店など多国籍業や大きな企業である。また地方とは、都道府県や大都市の官僚テクノクラートであって、本来、復興の主体であるべき市町村やコミュニティ、住民自治を担う市民ではない。

(注8)「神戸新聞」2015年1月3日。
(注9)兵庫県編『伝える-阪神・淡路大震災の教訓-』ぎょうせい、2009年。
(注10)「神戸新聞」2015年1月3日。