阪神・淡路から20年を経て見えた
ボランティアの“力”と“壁”

補助金狙いのNPOも横行する<br />“震災ボランティア”の光と陰阪神淡路大震災慰霊祭のボランティア詰め所 Photo:Kenichirou Akiyama

 2011年3月11日――。東日本大震災発生後、菅直人首相(当時)は、「災害ボランティア担当」首相補佐官として辻本清美民主党代議士を任命した。未曾有の災害で混乱する最中、この人事が発表されたとき、口さがない人たちの間からは、「学芸会じゃあるまいし」と揶揄する声も少なからず聞こえてきたものである。

 だが1995年の阪神・淡路大震災でボランティアに携わった経験のある神戸市のNPO法人代表は、「適切な措置」だったと語る。震災のような大規模災害時、自然発生的に大勢集まるボランティアやNPOの力を効率よく最大限に発揮するには、早い段階で、どこが行政の窓口なのか、加えてその活動の方針・方向性を打ち出すことが、必要不可欠だからだ。東日本から遡ること16年前の阪神・淡路ではそれが欠けていた。

 当時、震災の惨状を聞きつけボランティアにやってきた人たちのなかには、何の特技もない人や、宿泊や食事のあてもなく、ただ神戸に駆けつけたという人もいた。これに行政や地元ボランティアグループが翻弄されたという話は、今でも行政やボランティアの間で語り継がれている。

 そもそも阪神・淡路当時、震災直後の行政では、その復旧活動にボランティアを活用するという発想はまだなかった。復旧はあくまでも行政という官だけで行うものであり、ボランティアにみられる組織化されていない個人という“民の力”を借りることは、「官としてのあるべき姿ではない」(元神戸市職員)という発想がはびこっていたことが大きい。

 しかしその後の復旧活動を行う中で、行政の側ではボランティアの力に頼らざるを得ない場面に幾度となく遭遇する。震災直後なら、避難所での炊き出しの手伝い、食料や物資の配給、運搬、医療、高齢者や子どものケアといったそれだ。

 震災の混乱が落ち着いてからは、被災体験によるPTSD(心的外傷後ストレス障害)といったケアや建築関連などの専門技術の他、震災犠牲者の追悼式典の運営といったものも求められた。いずれも大勢の人手と予算を必要とする。とても行政の力だけでは賄い切れない。そうした背景から、今では行政側も、「NPOやボランティアの力を期待している」(神戸市市民参画局)のが現実だ。

 その一方で、阪神・淡路大震災から20年を経た今、NPO・ボランティアは一つの壁に直面している。当事者の“高齢化”である。