日銀が利下げした。10月31日、政策金利である無担保コール翌日物の誘導目標を0.5%から0.3%に引き下げた

 金融危機脱出のために、各国の中央銀行は先行して協調利下げに動いているから、日銀の利下げは、国際協調という面においては重要な意味がある。

 だが、0.2%引き下げても、仮にもう一度利下げしたとしても、あるいは、一度に0.4%引き下げてみたとしても、それほど効果はあるまい。所詮のりしろは0.5%しかないのだから、いかなる技法を用いても市場は金融政策の限界を見透かしてしまう。

 金利の引き下げ余地が乏しい原因は、当たり前だが、利上げしてこなかったことにある。なぜに日銀が利上げしなかったか――できなかったか――と言えば、とりわけ2000年以降は「超低金利・円安政策」がいわば”国是“であり、日銀がそれに従属してしまったからである。利上げに動こうとする日銀を、政・官・財界が押さえつけてしまったと言い換えてもいい。

 1999年2月から2006年6月まで、日銀は短期金利をゼロ%に維持した。それ以降も、年率1%を下回る低水準だった。

 1990年代の低金利は、不良債権処理のために、預金金利を抑えて国債その他の運用で利ざやを稼がせるという銀行支援策であった。2000年代に入って、景気を回復させる目的も加わった。第一に、「低金利・円安政策」で輸出を促進すること、第二に、企業の借り入れ負担を軽減して設備投資の後押しをすること、である。

 では、どれほど円安が進んだか。実質実効為替相場で円を見ると、2002年から2007年までの5年間は、20%を超える円安である。2007年夏頃の円の実質実効為替レートは、世界各国が為替相場是正に合意した1985年のプラザ合意以前の相場より円安になっていた。歴史的な円下落が進んでいたのである。