加護野忠男氏は、経営戦略の研究者として、日本、欧米、アジアの企業経営を観察してきた。いわく、「コーポレート・ガバナンスの究極の目的は、『よい経営』を実現することである」。したがって、コーポレート・ガバナンスについて語る時、市場関係者、法律や財務の専門家とは異なり、「企業競争力の強化」「持続的成長の促進」、あるいは「株主以外のステークホルダーの利益」「企業と社会の共生」といった視点から切り込む。本インタビューでは、2014年末に発表された日本版「コーポレートガバナンス・コード」原案への評価に始まり、株式会社制度が抱えるジレンマ、内部統制の問題点、市場原理主義や株主価値経営などアングロ・サクソン型資本主義の限界、そして日本企業の忘れ物など、コーポレート・ガバナンスにまつわる課題について、マネジメントの文脈から考える。

日本版「コーポレート
ガバナンス・コード」を評価する

よい経営はよいガバナンスから生まれる(上)加護野忠男(Tadao Kagono)
1973年神戸大学大学院経営学研究科博士課程中途退学後、神戸大学経営学部助手、講師、助教授を経て、88年神戸大学経営学部教授。98年神戸大学経営学部長ならびに大学院経営学研究科長。2011年に神戸大学を退官。主要な著作に、『日本型経営の復権』(PHP研究所)、『新装版 組織認識論』(千倉書房)、『経営はだれのものか』(日本経済新聞出版社)等が、また共著に『アメーバ経営が会社を変える』 (ダイヤモンド社)、『ゼミナール経営学入門第3版』(日本経済新聞社)、『コーポレート・ガバナンスの経営学』(有斐閣)等がある。

――昨2014年12月、金融庁と東京証券取引所から「コーポレートガバナンス・コード」の原案が示されました。マネジメントの研究者という立場からご覧になって、どのように評価されましたか。

加護野(以下略):どんな内容のものが出てくるのか心配していましたが、思っていたほど悪くないというのが率直なところです。大きくは3つの点で評価できます。

 第1に、コーポレート・ガバナンスについて、初めてまともな定義がなされたことです。「コーポレート・ガバナンスとは何か」という本質的な問いに対して、まず「株主の意思や期待を企業経営に反映させること」という偏った見方から、「よい経営を担保するための制度や慣行」という視点で定義しています。私の考える定義は、まさしく後者と合致します。

 具体的には、「株主をはじめ、顧客・従業員・地域社会等の立場を踏まえて、透明・公正で、迅速・果断な意思決定を行うための仕組みを意味する」として、株主以外のステークホルダーを強く意識する必要性も示されました。

 第2に、コーポレート・ガバナンスの目的を、不祥事の防止から「持続的な成長と中長期的な企業価値の向上のため」と明示したことです。株価が長期的な企業価値を正しく表すのであれば、何ら問題はありませんが、市場はえてして近視眼であり、その結果、投資家も経営者も短期主義に走りがちでした。まったく本末転倒です。

 第3に、日本の会計基準などに見られる「細則主義」ではなく、「原則主義」を採用したことです。前者はとても機能的ですが、「最低限のことだけをやればよい」、裏返せば「記載されていないことはやらない」、あるいは「記載されていなければ何をやってもよい」という考え方を招きやすく、各企業が自社の独自性を踏まえながら不断の経営改革に努めるという、コーポレート・ガバナンス本来の目的がなおざりにされてしまいます。

 とはいえ、 中身をよく見てみると、「独立社外取締役を2名以上入れること」などと記されており、細則主義や法治主義が完全には抜け切れていません。

 日本でも海外でも、何か不祥事が起こるたびに、コーポレート・ガバナンスの強化が叫ばれ、法改正や新制度の導入が行われてきました。その結果、コーポレート・ガバナンスはコンプライアンス(遵法義務)の問題にすぎないと考える経営者がいるのも、無理からぬことかもしれません。

 しかし、法制度を守るのは当然のことであり、いまコーポレート・ガバナンスに求められていることは、「よい経営」の実現です。この目的に、べからず集はあまり役に立ちません。