3月12日、規制改革会議で「医薬分業における規制の見直し」と題する市民公開のディスカッションが行われた。

「医薬分業」は、「医師は診療」「薬剤師は調剤」と役割を明確にして、それぞれが専門分野で力を発揮して医療の質を上げ、国の医療費を削減するために取り入れられた仕組みだ。

 今回、規制改革会議は、この医薬分業に設けられている規制が形骸化しているほか、コストに見合ったサービスを国民が実感していないと主張。患者の利便性を高めるために、6月の答申に規制廃止を盛り込む予定だという。

 形骸化している規制とは、医療機関と薬局は相互の独立性を高めるため、建物構造上も直接行き来できるような一体的な構造になっていてはいけない、というものだ。

 だが、会議側の提案は、国民の健康を守る上で正しい提案なのか。そして、超高齢化社会となった日本の医療体制にどのような影響を及ぼすのか。長期的な視点から考えてみたい。

医薬分業はGHQの勧告でスタート
1974年以降に医療費抑制策として加速

 日本で医薬分業法が可決したのは、戦後まもない1951年(昭和26年)。民主化の一環としてGHQが行った勧告に従って成立したが、その後、修正が繰り返され、施行されるまでに5年の月日を要した、いわくつきの法律だ。

 GHQの報告書では、「医師法第22条の規定を、医師は患者からの求めに応じて、薬ではなく処方箋を特別料金を請求することなく与え、かくして人々に調剤者の自由選択を保証するように修正すべき」と勧告している(『医薬分業の歴史―証言で綴る日本の医薬分業史』〔薬事日報社〕)。

 だが、利害の対立によって分業の強制は見送られ、医師がほぼ自由に調剤投薬できる骨抜きの内容となって成立。1956年(昭和31年)に施行されたあとも、実際にはほとんど分業が進むことはなかった。

 医薬分業が、再び、医療制度改革の表舞台に立つのは高度経済成長期だ。1960年代以降、薬剤費が国民医療費の4割を超えるようになり、逼迫する医療保険財政を改善するために、国の施策として推進されるようになる。