企業が大事故や不祥事を起こしたとき、当事者もメデイアも原因を組織的特質に求め、「企業体質」あるいは「企業風土」と表現する。

 事の本質を考えるとき、表現は極めて重要である。

 例えば、アレルギー体質という言い方をするように、体質とは人間を初めとする有機体が生まれ持っている、または避けようがなく備わっている特質である。

 だが、大事故や不祥事を起こす原因となった組織的特質が、その企業が元来備えていたものであるはずがない。それは、歴代の経営者が作り上げた「組織文化」と表現すべきものである。経営者の責任は、極めて重い。

 2005年4月、JR宝塚線の急カーブに運転士が制限速度をはるかに超えて進入、列車が脱線し、107人が死亡、562人が負傷した。この大惨事における業務上過失致死の罪で、山崎正夫・JR西日本社長が神戸地検に在宅起訴された(起訴後に辞任)。事故より9年前の1996年、JR西日本は事故現場のカーブを半径600メートルから同304メートルの急カーブに付け替える工事を実施した。当時、山崎氏は鉄道本部長であり、十分な安全対策を講じなければ大事故が起こることは予見できたのに、自動列車停止装置(ATS)の設置を指示しなかったという、安全対策の最高責任者としての過失を問われたのである。

 書類送検されていた新旧経営陣は、付け替え工事当時に社長だった井出正敬元会長、副社長だった南谷昌二郎前会長、垣内剛前社長ら8人に上る。そのなかで山崎氏だけが在宅起訴され、他は嫌疑不十分になった。国土交通省航空・鉄道事故調査委員会(事故調)は、「現場カーブにATSを優先的に設置すべきだった」とする最終報告書を出しているから、神戸地検がATS未設置を事故の主因とし、その直接の責任者だった山崎氏だけに刑事責任を問うたのは、起訴、公判に耐えうる事実、用件を第一に考える司法においてはやむをえない判断かもしれない。

 だが、仮にATSを設置していたとしても、事故を完全に防げたとはいえまい。また、宝塚線で事故が起きなくても、他線で惨事が発生したかもしれない。原因をATS、責任を山崎氏に集約させていいものだろうか。

 宝塚線事故に関するJR西日本の対応はあまりに誠実さを欠き、また、浮かび上がるいびつな組織的特質は我々を唖然とさせた。

 事故直後には、線路に置石があったと事故原因を隠蔽する発表を行った。列車のオーバーラン距離を偽装した。次いで、過密ダイヤ問題を棚上げして、急カーブに高速で突っ込んだ運転士個人の資質に責任を転嫁した。事故原因を現場個人に帰す発想が根強く、遅れを出した運転士に懲罰的な対処でミスを封じ込めようとしていた。その典型例が、いじめとしか思えぬ日勤教育だった――これらはすべて、彼等自身がとりわけ民営化以降に構築した組織文化の一端であった。私は当時、西日本JR首脳OB複数が、「あんな運転手がいるなんて、今の社長は運が悪い」と話したことを、忘れない。当事者意識は、はっきりと欠落していた。