1998年に経営破綻した日本長期信用銀行。エリート集団として高い評価を受けていた行員たちは、社会から糾弾され、辛酸をなめることとなった。経営破綻から17年、2000年に新生銀行として再出発してから15年。苦悩の日々を潜り抜け、自ら人生を切り開いた長銀OBの激動の十数年に迫る。(経済ジャーナリスト/宮内健)

格付け会社のマネージャーから
教育現場の最前線へ

 もしあなたが海外でMBAを取得し、しばらく外資系金融機関に勤務したとしたら次のキャリアにはどんな選択をするだろうか。別の外資系金融機関か、コンサルティングファームか、あるいはベンチャーのCFOか――。

 今回紹介する長銀OBの近藤健志さんが選んだのは、中高一貫校の英語教師だった。

金融エリートの道を捨て、なぜ教師を選んだのか<br />【長銀OBのいま(3)】河合塾ドルトンスクールのサマースクール“Dalton Children’s University”で英語のディスカッション授業をする近藤さん
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 詳しく経歴を記すと、近藤さんは長銀に新卒入行し、米国へのMBA留学やニューヨーク支店勤務を経て、格付け会社のスタンダード&プアーズ(S&P)に転職。証券化グループのディレクターとして日本での格付け事業拡大に貢献した後、人材コンサルティング会社を経てトヨタ自動車やJR東海、中部電力が中核となって設立された海陽学園に参画したのである。

 英イートン校をモデルに次代のリーダーを育成しようと設立された海陽学園は全寮制の中高一貫校で、ハウスと呼ばれる寮には各棟に1人ずつハウスマスターとして教師が住み込みで置かれ、勉強だけでなく日々の生活や将来のことまで全面的にサポートする。近藤さんはこのハウスマスターも務め、生徒たちの成長に文字通り日々寄り添った。「本気で教師をやりたい人には最高の職場だと思います」と近藤さんはいう。

 昨年からは河合塾に移り、18年からの生徒募集を予定していて、社会に変革を起こしうる人材育成を目標とする新しい中高一貫校のコンセプトづくりに従事するとともに、NPO法人留学フェローシップの理事を務めている。

 金融から教育現場へという、かなり飛躍のあるキャリアチェンジ。近藤さんがなぜこの決断をしたのかを知るには、長銀時代にさかのぼる必要がある。

最先端の情報を得るにはゴミ箱を漁れ!

「国際的で、日本のため、世界のためになる仕事をしたい」

 そんな志を抱いて近藤さんが長銀に入社したのは90年のことである。最初の職場は横浜支店だった。

「思い出すと不思議なのですがとても仲の良い職場で、先輩たちと一緒に平日は夜遅くまで働いてそのまま飲みに行き、週末も夏は別荘、冬はスキーとよく遊んでいました。しかも、その合間に皆さん本当によく勉強するんです。私も刺激を受けて、先輩たちに追いつこうと必死になって勉強しました」