一般的に現代人は、何らかの病気にかかると、「闘って克服すべきだ」と考える傾向があります。これは「うつ」の場合も例外ではありません。

 しかし、この「病と闘う」という考え方そのものが、実は「うつ」の回復を妨げてしまう側面をもっていることは、案外気づかれていません。「一日も早く治りたい」と思えば思うほど、「病を克服せねば」「病気に負けるな」と考えてしまうのは当然の心理なのですが、それが皮肉なことにかえって「うつ」を長引かせる結果を生んでしまうのです。

 では、この厄介なジレンマをいったいどう考えたらよいのでしょうか。今回はこの点について掘り下げて考えてみましょう。

「治そう」という気持ちが足りないのか?

「何も生産的なことをしないで一日中横になっているなんて、本当に自分はダメな人間だ……」

 程度の差はあれ、大概の患者さんはこのように自己嫌悪しながら療養しています。

 そこに運悪く、古風な精神論を信条としている人が周囲にいて下手に関わってきたりしますと、「なかなか治らないのは、『治そう』という気が足りないからだ!」といった心ない言葉を発せられてしまうことがあります。また、実際誰かにそう言われたのでなくとも、患者さん自身が自分でそういう見方をしてしまっていることも珍しくありません。

 その結果、患者さんは、「私はきっと『治そう』という気持ちなんか持っていないんだ。私はたんに怠けたいだけなんだ」と、「怠け病」のレッテルを自分自身に貼ってしまい、いっそう自己嫌悪に陥ってしまうことになります。

 「治そう」という気持ちは、治療に対するモチベーション(動機づけ)のことであり、そういう気持ちはあるに越したことはないじゃないか――常識のレベルで考えれば確かにそうでしょうし、それなしには治療自体が始まらないわけですから、もちろん不可欠なものでもあります。

 しかし、そのレベルだけで「うつ」の治療を進めていきますと、残念ながらあるところで壁にぶつかってしまって、先に進むことができなくなってしまうのも事実なのです。

力ずくの「北風」方式には限界が……

 近代以降の西洋医学の考え方は、「病気」を悪とみなして、治療によって駆逐しようとする傾向がベースにあります。この考え方は今日、医療側のみならず、一般の人たちにもすっかり浸透したものになっています。

 しかし、イソップ童話の『北風と太陽』の話に喩えれば、これは力ずくで目的を達しようとする「北風」のやり方に相当するもので、力を込めれば込めるほど皮肉にも裏目の結果を招いてしまうという限界をはらんだ方法論になってしまっています。