鳩山邦夫総務大臣が、事実上更迭されてからというもの、筆者に対しても、各メディアからの問い合わせが続いている。そのほとんどが「鳩山新党の可能性はあるのか?」というものである。

 そうした問いに対して、筆者の答えはいつでも同じだ。

 「選挙前にはありえない。でも、選挙後はわからない」

 元秘書の立場から答えるのも憚られるが、今回はジャーナリストではなく、元秘書の立場から鳩山氏を論じてみる。

羽田孜氏に恩を感じて
新進党結党に参画

 じつは、筆者の働いていた5年間だけでも、鳩山邦夫氏は3つの新党の設立に関わっている。

 最初は新進党だった。94年当時、旧・改革の会に所属し、事実上無所属だった鳩山氏は、政権交代可能な二大政党制を視野に入れた政界再編を目指して、海部俊樹元首相や小沢一郎氏の率いる新進党結成の列に加わったのだ。

 当時の役職は、新進党広報企画委員長。ちなみに直属の部下は小池百合子氏であった。

 鳩山氏はその年の春、羽田孜内閣の労働大臣に就任していたが、自社さ政権の成立で下野し、羽田氏に従う形で新党に参画したのであった。

 「落選中、メシを食おうと誘ってくれたのは羽田さんだけなんだよ」

 秘書時代、筆者は鳩山氏から羽田氏の優しさを何度も聞かされていた。2回目の選挙で落選した鳩山氏に優しく接してきたのは羽田氏だけだったとよくこぼし、こうも語っていた。

 「政治っていうのはな、スポットの当たっているときは多くの人が集まるが、落選した途端、蜘蛛の子を散らすように周囲からいなくなってしまうんだよ。でも、羽田さんだけは違ったなぁ」

 その新進党も、羽田氏と小沢氏による党首選によって亀裂が入り、解党に向かう。その直前、新進党に見切りをつけた鳩山氏は、離党を模索するようになっていた。それが96年の春のことだった。