時にあっけにとられるほど弱々しく崩れさり、時に信じられないくらい逞しく危機を乗り越える――。予測不可能に陥った21世紀の経済に対して、経済学はまだ有効か?
学問から実業まで飛び回るエコノミストにして「ネットワーク理論」を経済学に持ち込んだ第一人者ポール・オームロッドの新著『経済は「予想外のつながり」で動く』。インセンティブを、合理的経済人を、効用を、そして経済学そのものをネットワーク理論でアップデートする野心的な本作から、刺激的なトピックを抜粋してご紹介する特別連載第3回。ユーチューブで起こった摩訶不思議なエピソードから、「正規分布」について再検討する

4000倍もの差がついた
2つの「エクストリーム・アイロニング」

ベン・ネイヴィス山はブリテン諸島で一番高い山だ。スコットランドのハイランド地方にあり、高さは4406フィート(1344メートル)である。観光客向けの歩きやすい道を選んでも、頂上までのたかだか4マイルは、最初から最後までけっこうな山登りに感じられる。そしてそれほど高いわけではないのに、頂上はひどい所だ。風が大西洋から直に吹きつけ、時速100マイルの突風が吹くことも珍しくない。そのため、平均気温は水凍る寒さを1度以上、上回ることがない。1年中いつでも雪が降ることがある。じっさい、私は夏真っ盛りの8月に雪が降ったのを見たことがある。私がそのときにいたのは、ベン・ネイヴィス山よりもう少しだけ低く安全な山で、そっちで降っていたのはみぞれだった。

 イギリスでM1といえば、ロンドンから出てミッドランドとイギリス北部へ向かう幹線道路だ。イギリスにできた都市と都市を結ぶ最初の高速道路で、主な部分は1959年から1968年に建設され、現在の交通量は膨大である。あまり例のないことだが、この道路はロンドン市内に入るところで交通量が減る。つまりロンドンを周回する道路M25と交わるところを過ぎてからだ。この部分は1977年に延長されている。2011年4月、道路のこの部分が全面的に閉鎖された。高架になっている部分の1つのすぐ下で、火事が起きたからだ。

 2つのパラグラフはとても些細な事実を詳しく述べていて、一見、互いにまったくかけ離れた内容に思える。でも両者はつながりあっている。それぞれの場所でアイロンをかける人の動画がユーチューブに公開された。男が1人、ベン・ネイヴィス山の頂上を目指す。アイロン台とリュックサックを背負い、アイロン本体はリュックに入れているのだろう。もう1人は、髭もそらずにガウンを着て、M1の閉鎖された路上で、3分にわたってシャツにアイロンをかける。

2つの動画のうち1つが、ユーチューブその他のサイトでもう1つの4000倍以上のアクセスを受けた。人気が高かったほうの動画の登場人物として、日曜の新聞でインタビューに答えた男はこう言っている。

「申し訳ないと思っているよ。あちらは…(中略)…ユーチューブに動画を公開して46回しかアクセスがなかった。ぼくはよじ登って…(中略)…20万4000回もアクセスをもらったんだ。ぼくの話は日本、アメリカ、ギリシャ、ロシアのマスコミにも取り上げられた。たぶんみんな、ぼくを頭のおかしいイギリス人だと思ってるんだろうな。ま、かまわないさ」

 インタビューで「よじ登って」の後に続く、省略されている部分はこうだ。「柵の破れているところを潜り抜け、高速道路に入って2分ほど歩いた」。つまりM1でアイロンをかけたほうの人は、自分の芸で世界中から賞賛を受け、一方、こう言っていいなら、恐れを知らぬ登山家のほうは、歳月の霧の中へと消えていった。

 2つの出来事に対する関心の大きさの違いを、独立した合理的なエージェントによるインセンティブへの反応という枠組みで説明するのはとても難しい。例によって、事が起きた後からなら、一方の動画がもう一方の動画よりずっと人気があったのはなぜか、もっともらしい話を語ることができる。

 しかしここでのケースは、インセンティブの枠組みで正当化しようと思うことさえためらわれる。2つの状況はとてもよく似ている。どちらも、もの好きなイギリス人が変わった場所で服にアイロンをかける。それなのに、一方は他方より4000倍も人気が出た

 これは決して珍しいことではない。むしろまったく逆だ。視野をもっと広げるなら、ポップ・カルチャーの世界では、実質的には同じ「製品」間で結果が大きく異なっていることは、まったく文字通りの意味で日常茶飯事だ。ほとんどは日の目を見ることもなく消えていき、ほんのひと握りが大人気になる。そしてそんな結果になる理由は、単なる「運」以外、はっきりしない。

 たとえばフリッカーやユーチューブで、その日の一番人気の動画は、同じ日にアップロードされたほかの動画や写真の数千倍どころか数十万倍もダウンロードされる。他のどれよりもたくさん閲覧されたりダウンロードされたりする理由が、具体的ではっきりしていることもたまにはある。でもほとんどの場合、理由ははっきりしない。