1998年に経営破綻した日本長期信用銀行。エリート集団として高い評価を受けていた行員たちは、社会から糾弾され、辛酸をなめることとなった。経営破綻から17年、2000年に新生銀行として再出発してから15年。苦悩の日々を潜り抜け、自ら人生を切り開いた長銀OBの激動の十数年に迫る。(経済ジャーナリスト/宮内健)

50歳で中小物流会社へ転職
売上高は100億円台から1400億円に

 SBSホールディングスは1987年、佐川急便のドライバーだった鎌田正彦社長が創業した物流会社である。創業時の社名は関東即配といい、小口貨物の即日配送が事業のスタートだった。

 以後、積極的なM&Aや後述する「物流と金融の融合ビジネスモデル」で業容を拡大し、創業27年目にあたる昨年12月期には売上高1415億円、営業利益41億円という物流グループに成長を遂げた。かつて雪印乳業が経営危機に陥った際、売上規模が約2倍の雪印物流(現SBSフレック)を買収して話題になった会社、といえば覚えている人も少なくないだろう。2013年12月、東証1部上場企業にまで成長したが、鎌田社長はこの成功に飽き足らず、創業30年目の2017年には売上高2000億円を目指している。

50歳で転職、中小物流会社を東証一部に押し上げた元行員<br />【長銀OBのいま(5)】SBSホールディングス常務・入山賢一さん

 今回、紹介する入山賢一さんは長銀で人事担当部長を務めた後、2つの中小企業を経て2002年、50歳のときにSBSに入社した。現在は常務取締役で社長に次ぐ立場にある。2人が初めて出会ったのは、入山さんが商談で鎌田社長を訪問したときだった。

「うちは売上が100億円台の中小企業で、両国から隅田川沿いにある向島のビルにオフィスを引っ越したころでした」

 東京・錦糸町のオフィスの応接室で、窓の外に見える隅田川の上流を指差しながら鎌田社長は振り返った。

「私たちは小さな会社でしたが上場を目指していて、管理本部長として活躍できる人材がずっと欲しかったんです。実は以前、ヘッドハンティング会社を通じて銀行から採用した人がいたのですが、『隅田川沿いの辺鄙なオフィスには行きたくない』と言い出したり、エリート意識が強すぎてうちには馴染めませんでした。ところが入山さんが長銀出身だと知って話を聞くと、長銀の経営破綻で非常に苦労していて、中小企業の経験もある。何よりとても人柄がよくて、エリートだけど人の話によく耳を傾ける。これはなかなかの人物だと思ったんです」

 一方、入山さんから見た鎌田社長の第一印象はどうだったか。

「その頃からグループ売上2000億円という目標を立てていて、途方もないことを宣言している人だと思いました。実績としては目標の10分の1もありませんでしたから。客観的に見ればホラかもしれませんが、本人は決して不可能とは思っていなかったんですね。そういう発想は面白いし、何か色んなことをやりそうな人、という印象がありました」

 SBSに入社した入山さんは、雪印物流の買収などの重要な経営判断や管理部門の整備、運営に携わり、会社の急成長を支えてきた。

 銀行の人事担当部長といえば出世コースのど真ん中である。そこから物流業界の中小企業に50歳で移り、その成長に貢献しているわけだ。普通ではありえないキャリアと活躍の経緯を追ってみよう。