280万部のベストセラー『もしドラ』第2弾がついに12/5に発売されます。今度のタイトルは『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『イノベーションと企業家精神』を読んだら』(通称『もしイノ』)。なぜ今度のテーマは「イノベーション」なのか?『もしイノ』とはどんな内容なのか? この作品にこめた思いとは? 著者の岩崎夏海氏と、長年、ドラッカーの著作のほとんどを翻訳し、ドラッカーの「日本での分身」と言われる上田惇生氏が語り合う、『もしイノ』刊行記念対談・前編。
(構成:山田マユミ、写真:京嶋良太)

居場所が見つからない時代、
マネジメントは「居場所」を作れるか?

上田 岩崎さんの新作『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『イノベーションと企業家精神』を読んだら』(以後『もしイノ』)には、冒頭から心をつかまれました。プロローグでいきなり「居場所」という、本の「背骨」となるキーワードが出てきますが、これはドラッカーに長年、関わってきた者からすると、「よくぞ見つけてくれた!」と思う言葉なんです。

岩崎 ありがとうございます。ドラッカーが著書『マネジメント』を書いた意図をじっくり考え、この言葉にたどり着きました。本を読み込むほどに、ドラッカーは「居場所」を生み出すことの重要性を訴えていると思ったんです。

280万部の『もしドラ』第2弾!<br />『もしイノ』のテーマはなぜ「居場所」なのか?


上田
 今回の本は、「居場所が見つからない時代に、居場所を見つけようとする女子高校生の物語」になっていますよね。最初から最後まで「居場所」というキーワードが物語を支える言葉になったのは、それに耐えられるだけの、マネジメントに対する深い理解があるからだと思います。それだけに、「居場所」という言葉にたどり着けたことに感心しました。

岩崎 ドラッカーは『マネジメント』の中で、「なぜマネジメントが必要なのか」「マネジメントの社会的な意義」について、独立したチャプターにしてまで書いています。もちろん、当時は今のようにマネジメントの重要性が認識されていなかったから、細やかに説明した面はあると思います。

 でも一方で、マネジメントがシンプルでわかりやすく実践しやすい分、人間の真摯さや貴さこそが必要だと強調したかったから、ドラッカーはあそこまで書いたのではないか。難しくても、真摯さや貴さをベースにしないと、人類は良くない方向に進んでしまうという強い危機感があったのだろうと思ったんです。

上田 その通りです! ドラッカーは処女作『「経済人」の終わり』で、人間は「たんなる経済的な存在ではない。それ以上に社会的な存在である」と説いています。ところが「経済人」という言葉の解釈が、世間一般ではずれてしまっている。本の内容自体は「ファシズム全体主義」が生まれた原因を分析し、経済至上主義からの脱却を説くという内容でしたが、そこでドラッカーは、人間は経済のために生きているんじゃないと、説いているのであって、「社会主義が悪で、資本主義が正義」だという答えを出しているのではないんですよ。

岩崎 はい。ドラッカー自身は4歳のころに第一次世界大戦が勃発していて、その当時、オーストリア・ハンガリー帝国の貿易省高官だった父親が「第一次世界大戦の始まりは、文明の終わりだ」と話しているのを聞いたんですよね。その言葉が根底にあり、自分はそれをどう解決できるのかということを人生のテーマにしていたということが、僕自身、だんだんわかってきたんです。

 人類はややもすると、一つのパンを奪うために殺し合うという状況に陥り、無限の競争を繰り広げがちだと、ドラッカーは子どものころから痛感していた。それを宗教で諭すという方法もありますが、それではうまくいかないことを歴史は表している。精神的な気高さでは、奪い合うことを止めるどころか、宗教自体が争いを広める側面すらあったわけです。

上田 だから「社会的な存在」としての人間のあり方を求めたんですよね。人間はあくまでも社会的な存在、つまり社会において、それぞれが何かの役割を担うべき存在なんです。ところが、何か役割を担うとなると、その究極のあり方としての社会主義という言葉が出てきがちで、そこからスターリンらが示した全体主義を浮かべてしまう。つまり、社会主義を資本主義に相対するものととらえると、「社会主義よりは資本主義のほうがいい」「役人が物事を決めるよりは、マーケットが決めるほうがいい」という考えに目がくらんでしまいかねないんです。「社会的な存在」という言葉は、それだけ理解が難しいのかもしれない。

岩崎 でも、そうではないんですよね。ドラッカーが示していたのは「社会的な行動」であって。

上田 そう。だからね、それを表すのに最適なのが、岩崎さんが見つけ出した「居場所」という言葉なんですよ。多くの日本人が「絆」という言葉で表現しがちだけど、絆というより、「居場所」なんですよね。

岩崎 そうですね。絆という言葉もさることながら、僕は「助ける」という言葉には非常におこがましさを感じていて、例えば社会的に困窮している人が、「施し」を受けると、施した側は満たされた気持ちになるかもしれませんが、受けた側の尊厳は保たれなくなってしまうと思うんです。

 人間が社会的な存在であるためには、「人の役に立つ」「社会に必要とされる」ことが条件になると思います。そのために、その人間が必要とされるようにジョイントするのがマネジメントの役割。社会と個人のつながりを構築するのがマネジメントの果たすべき役割だと思うんです。ところが、上田先生のおっしゃるように、人間が社会的な生き物だという本質を、解釈を変えて使っているのが、ある種の社会主義なのだろうと思います。

上田 ドラッカーは社会主義を推奨しているわけではない。