『原子炉時限爆弾』で、福島第一原発事故を半年前に予言した、ノンフィクション作家の広瀬隆氏。
壮大な史実とデータで暴かれる戦後70年の不都合な真実を描いた『東京が壊滅する日――フクシマと日本の運命』が増刷を重ね、第6刷となった。
本連載シリーズ記事も、累計300万ページビュー(サイトの閲覧数)を突破し、大きな話題となっている。
このたび、新著で「タイムリミットはあと1年しかない」とおそるべき予言をした著者と、吉本興業所属の芸人・おしどりマコちゃんが初対談!
おしどりマコちゃんは、フクシマ原発事故以降、マスコミ記者顔負けの「ロジカルな質問力」で東電幹部も答えに窮する場面も多数あったという。
芸人ながら、タブーといわれる原発事故の真実に、詳細なデータベースで迫る稀有な女性だ。聞けば、以前、鳥取大学医学部生命科学科に所属していたという。
そんな折、8月11日の川内原発1号機に端を発し、10月15日の川内原発2号機が再稼働。そして、愛媛県の中村時広知事も伊方原発の再稼働にGOサインを出した。
本誌でもこれまで、41回に分けて安倍晋三首相や各県知事、および各電力会社社長の固有名詞をあげて徹底追及してきた。
スベトラーナ・アレクシエービッチ著『チェルノブイリの祈り』がノーベル文学賞を受賞した今、精神論やきれいごとでなく、真の科学的データで迫る姿勢が日本でも問われている。
なにごともなかったかのように、次々再稼働される日本の原発。
本当にこれでいいのか?
安倍政権によって、真実の声が消される中での対談3回目をお届けする。
(構成:橋本淳司)

報道関係者は
なぜ、自死したのか?

半径2メートルに<br />公安が立っている「異常な日常」<br />――おしどりマコちゃん×広瀬隆対談【パート3】 広瀬 隆
(Takashi Hirose)
1943年生まれ。早稲田大学理工学部卒。公刊された数々の資料、図書館データをもとに、世界中の地下人脈を紡ぎ、系図的で衝撃な事実を提供し続ける。メーカーの技術者、医学書の翻訳者を経てノンフィクション作家に。『東京に原発を!』『ジョン・ウェインはなぜ死んだか』『クラウゼヴィッツの暗号文』『億万長者はハリウッドを殺す』『危険な話』『赤い楯――ロスチャイルドの謎』『私物国家』『アメリカの経済支配者たち』『アメリカの巨大軍需産業』『世界石油戦争』『世界金融戦争』『アメリカの保守本流』『資本主義崩壊の首謀者たち』『原子炉時限爆弾』『福島原発メルトダウン』などベストセラー多数。

広瀬 今年の11月1日に、おしどりマコちゃん・ケンちゃんの司会で「STOP伊方原発再稼働! 11・1全国集会in松山―福島をくり返さない―」があり、私も行ってきました。

 愛媛県知事の中村時広が伊方3号機の再稼働に同意した直後の集会で、全国から4000名が参加し、「再稼働を許さない」と訴える人たちの熱のこもった集会でしたね。
 そのときのステージで、マコさんが「原発事故が起こってから、知り合いの人が6人亡くなった」と言っていたことが気になりました。
 くわしい話を聞かせてください。

マコ 病死が2人、自死が4人です。報道関係が4人で、研究者が2人です(今は、病死が3人、自死が4人です。報道関係4人で研究者が3人。『見捨てられた初期被曝』を岩波書店から出版されたstudy2007さんも、2015年11月13日にお亡くなりになりました)。

広瀬 報道関係というのは『報道ステーション』のディレクターの方ですか?

マコ そう、お一人は去年亡くなった『報道ステーション』のディレクターです。
 あの方には、亡くなる前日にも会っていました。プライベートでも仲がよかったので、なぜ自死したんだろうと疑問に思っていました。いろいろ調べて、最終的にはご遺族にもお会いできました。遺書や保険の話も教えてもらって、相当長く自死の計画を立てていたことがわかりました。

半径2メートルに<br />公安が立っている「異常な日常」<br />――おしどりマコちゃん×広瀬隆対談【パート3】おしどりマコちゃん
よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。社団法人漫才協会会員。認定NPO法人沖縄・球美の里理事。フォトジャーナリズム月刊誌「DAYS JAPAN」の編集委員。 兵庫県神戸市生まれ。鳥取大学医学部生命科学科を中退し、東西屋ちんとん通信社に入門。アコーディオン流しを経て芸人に。 東京電力福島第一原子力発電所事故(東日本大震災)後、随時行われている東京電力の記者会見、様々な省庁、地方自治体の会見、議会・検討会・学会・シンポジウムを取材。また現地にも頻繁に足を運んで取材し、その模様を様々な媒体で公開中。 【Twitter】https://twitter.com/makomelo

広瀬 自死の計画というのは?

マコ 彼とのメールのやり取りを振り返ってみると、2012年頃は、
「被曝の取材は何十年も続けなくてはならない。被災地の人との信頼関係が重要だから、お互いに連携してやっていこう」
 という感じでいました。

 それが2013年末になると、「次の3月11日の『報道ステーション』がラストチャンスだから全力でやる」という言い方に変わったのです。

 私は「別にラストじゃないでしょ。5年後も10年後もずっとやりましょう」とメールしたのですが、その頃から決めていた、ということが、いろいろ調べて後でわかりました。
 彼の場合、局からの圧力があったことは事実だし、そのほか冤罪事件も追いかけていて、自死する原因は1つではなく、いろいろなことが重なっていたと思いますが……。

広瀬 原発に関して調べていると、いろいろな圧力がかかってきます。それが負担だったのでしょうね。