日本が敗れた。南アでのワールドカップサッカーのベスト16での戦い、PKの末にパラグアイに惜敗した。

 翌日の新聞は一面トップでこの「悲劇」を伝えている。また、朝の情報番組を観れば、司会者やコメンテーターが口をそろえてこんな風に語っている。

「感動をありがとう」

「勇気をもらいました」

「日本代表にお礼を言いたい」

 一般人ならまだしも、スポーツ報道を扱うメディアの人間にしては、またずいぶんと安上がりに感動するものである。

 どうも、この種の言葉に違和感がある。仮にも公共の電波を使って、「感動したり」、「お礼をしている」ヒマがあったら、日本の敗因、もしくはパラグアイの勝因について、解説の一つでもしてもらいたいものだ。

歓喜に沸く日本の中で
冷静な批判は難しいのか

 そもそも、今回の日本代表の戦前の目標は、ベスト4であったはずではないか。それは岡田監督自らが設定したものである。

 にもかかわらず、結果はベスト16であった。善戦したとはいうものの、自ら目指した目標に到達しえなかったのは間違いない。それならば、なぜそうした結果に終わってしまったのか、という点をサッカージャーナリズムは分析しないのか。

 一般のファンならば仕方がない。しかし、まがりなりにもメディアの人間であるならば、そしてサッカーを取材している者であるのならば、ファンと一緒にお礼をしていないで、自らのやるべき仕事をきちんとこなすべきである。

 前日本代表監督のオシム氏は試合後、スカパー!の番組の中でこう語っている。

「改善すべき点は多くあった。決勝に入ってパラグアイのように勝てる相手と当たったのに、この結果はきわめて残念です。本当に勝ちにいったのか、残念でならない。勝つために必要なことをしたのかというとそれはない。後半は個々人がチームを無視した動きをしてしまった。この教訓をどう引き出すか。次のワールドカップを考えるのならば、きょう、この負けた瞬間から考えなければならない」