参院選の結果、与党の過半数割れが確定し、国会は再び衆参のねじれ状態になりそうだ。衆議院で3分の2以上の議席を持たない菅政権としては、連立の組み替えも含めた新たな対応に迫られる。

 これを受けて、テレビに出ている立派な政治評論家らは「異常事態だ」、「法案が一本も通らない」と大騒ぎをしている。新聞やテレビも総じて「ねじれは問題」というスタンスで共通している。

 だが、果たして本当に「ねじれ」は悪いのか。

 本コラムの読者はご存知のように、筆者は2007年の夏の参院選から一貫して、「ねじれ国会」歓迎派である。当時、単純な批判論者は、「上杉は反自民で、反安倍だ」というレッテルを貼ったが、民主党に政権が移ってからも当然にその考えに変更はない。産経新聞や朝日新聞のように、イデオロギーで取材結果が左右されることはないのである。

単純な多数決採決より
むしろ健全といえる面も

 話を戻そう。今回の選挙結果によって、一年ぶりに国会は「ねじれ状態」になる。だが、それは民意が生み出した結果であり、菅政権は「ねじれもまた民意」ということを噛みしめなければならないだろう。

 法案が一本も通らない、などというのは政治側の身勝手な言い訳にすぎない。参議院での民主党は、過半数まで11議席足りない状況にある。裏返せば、他党との粘り強い交渉や議論によって11人の議員を説得すれば、法案は成立するのだ。

 議会政治において、立法のためのこうした議論は当然に求められているものである。民主主義の観点からいえば、むしろ多数による単純な採決よりも、こちらの方が健全といえるかもしれない。