「アルファ碁」をはじめ、人工知能の驚くべき進化が連日報道されています。人工知能とは何なのか? どこから来て、この先何を変えるのか? それを読み解く新刊『人工知能は私たちを滅ぼすのか――計算機が神になる100年の物語』から、本文の一部をダイジェストでご紹介します。

本書は、各章の冒頭に、人工知能が実現しているであろう2030年を舞台にした「物語」を描き、それを実現する背景となるコンピューターの歴史について交互に解説するスタイルになっています。今回は、プロローグにあたる旅の幕開けについて。2030年に就活を終えたばかりの大学生マリが、ひょんなことから人工知能の歴史をめぐる100年の旅に出ることになります。特に理系でもないマリが、どうしてそんな研究をすることになったのでしょうか。その理由は、2030年の世界では、人工知能が今日のスマホと同じくらい、誰でも使う当たり前のものになっているからです。

【2030年の世界その1】
私が人工知能について調べることになったワケ

「マリ、起きて、マリ。もう朝だよ」

「ピート、まだ眠いよ、もう少し寝かせてよ……」

「ダメだよ、今日は朝から指導教官と面談でしょう? あと29分32秒で家を出ないと間に合わないよ!」

「はいはい、わかりました、起きますよ。ふわぁ。まったくあんたたち機械には情ってものがないんだから」

 眠い目をこすると、水色の猫の姿をしたピートがものいいたげに空中にホログラムで時間を投影している。今は2030年7月1日、午前7時30分。確かに身じたくをして出かけるのにはギリギリの時間だ。

 ピートはアシスタント知能デバイス、通称A.I.D。高校生になったときに最初のバージョンを買ってもらって以来、いつも一緒にいて、私のことをなんでも知っている。彼氏なんかよりもよっぽど私のことがわかっている(今はいないけど)。

 でも、親みたいにおせっかいを焼いてくるから、たまにうんざりすることもある。それでも今では誰もがA.I.Dに夢中だ。A.I.Dのいなかった頃って、どうやって生きていたのかわからない。

 指導教官の中嶋先生からは、早く卒論のテーマを決めるようさんざん叱られた。研究室から出て、まだ人もまばらな朝のキャンパスをトボトボと歩く。

「参ったな、せっかく内定が出たのに、このままじゃ卒論の単位を落として卒業できなくなっちゃう。当然内定も取り消し。そんなの最悪! でも今までも真面目に研究をしてたわけじゃないし、今さら研究テーマっていってもな……」

 その時、ピートが20世紀風のけたたましいロックを鳴らしだした。この着信音は友達のリクだ。リクはいつもと同様、当たり障りのない挨拶をしてきた。私は答える。

「卒論のテーマがなかなか決まらなくて……。今朝も指導教官に怒られた。このままじゃ私、落第しちゃうよ。なにかアイデアない?」

「そりゃ大変だな。そうだ、ピートに考えさせたら?」

「忘れちゃったの? 大学の研究や試験でズルができないようにA.I.Dにはロックがかかってるの」

「それが、ロックを解除する方法があるんだよ。うちの大学の知り合いが教えてくれた。拡張プログラムをインストールすればいいんだって。なんかの時のために、アドレスを教えてもらったんだ。今転送するよ」

「そんなの入れて大丈夫かなあ。あなたのハルでは試してみたの?」

「いや、まだ。でもピートなら効くはずだよ。困ってるんだろ?」

「それはそうだけど……」

 まあ、試してみるか。ピートが使えさえすれば、いいテーマを考えてくれるのは間違いない。

「ピート、リクが送ってくれたアドレスからプログラムをインストールして」

「マリ、これは開発者不明のプログラムだよ、こんなの入れたら僕どうなっちゃうかわからないよ?」

「マズかったらプログラムを消せばいいだけでしょう? いいから入れてみてよ」

「わかったよ、どうなっても知らないよ? 今インストール中、10%、20%、30%……インストール間もなく完了」

「さあ、どう?」

「……」

 ピートの様子がおかしい。急に飛び跳ねると、命令してもいないのにたくさんのホログラムを再生しだした。その内容は、ドラゴンや獣や王国──今朝私が見た夢の内容だ。

「ちょっと、ピート、やめて!」

 ピートは止まらない。今や私の周りは何百人もの、地中から蘇ったゾンビでいっぱいだ。私たちだけじゃなくて、周りの学生も集まってくる。

「なにこれ!」

「どうした?」

 私は恥ずかしさのあまり叫んだ。

「ヤダ、もう、本当にやめて!」

 すると、急に激しい閃光が走った。まぶしさのあまり思わず目をつぶる。目を開けると、ホログラムが消えていた。同時に、ピートの目の光も。

「ピート? 起きてよ、ねえピート!」

 私は必死にピートのスイッチを押した。しかし、その目の光が戻ることはなかった。

 なんてことだ。私の最高の相棒が、死んだ。